おとこひとり

59才おとこ・筋トレ・服・デザイン・時代・哲学

生きて行くことは正しい生活をする事が目的ではなく自分の問題を解決して行くことが目的であって、ガマンしたり修行することで解決はしない

f:id:bearpond:20171227191301j:plain

不思議なものは大好きですが、哲学としての思考を書きます。

「死んだら人は良い人になる。 仏の心になる。」なんてのはまるでウソ。死んでも生きていたときの性格や個性はそのままで、面倒な性格は死んでもそのまま。むしろ死んだら肉体が無い分、本能のままの性格(本性)がむき出しになり生きてる人達を「霊」という形をとって苦しめることがある。 死んだら肉体が無くなるだけで個人の本質は何も変わらない。生きているときに自分のマイナスな問題を解決していくことが生きる目的である。肉体が無くなったら対処できないから。

生きている時にどれだけ自分を成長させたかにより、輪廻天性を信じる人達にとっては、生まれ変わる時間の差は、生きてるときの問題の対処によって次に生まれてくるまでの期間が短くなったり長くなったりするのだ、という考えだ。

「死んだら楽になる」と思いがちだが、そう思いたいだけで、肉体が消滅しただけで苦悩は相変わらず残る、という考えの方が自然だ。「自殺」はまったく楽にならない。生きているときの体がないだけ何もできなくなったことが逆に苦しくなる。死んだら真っ暗になってすべてが「無」であるという人達もいるが、なぜ「無」だと言えるのか?を考えて欲しい。永遠でないものは肉体で、それは誰もがわかっている。死んだら「無」だと言っている人達にとっては「永遠なもの」はないということになる。これは前の記事でも書いたが、「無」という概念は「永遠」が存在せずには存在できない。だから「永遠のもの」が存在することは理論的に正しい。「死」の後が無か永遠かを確かめるには自分の心に聞いてみるしか方法はない。

人生の目的は、正しい生活をする事が目的ではなく、自分の問題を解決して行くこと、が目的であって、ガマンしたり修行することは精神をスットップさせてしまう行為で、目の前の問題から逃げる行為、せっかくの自分への問題定義を避けてしまうことで、精神的な自分の成長をあきらめること、今生きている自分の問題は何も解決はしない。成人君主のように生きなさい、なんて、おかしい。人は未完成で悩んでいる人のほうが魅力があるし、人としての完成を目指すことが目的ではなく、「今ある問題を解決してゆくプロセス」が目的であるべきである。 修行は楽に解決しようと考える方法で間違えである。具体的にひとつひとつ、ゆっくりと自分に向き合っていく過程、それこそが人生の目的である。

宗教や団体や親や、そういった何かに抑制されてる人って言うのは、他力本願で不幸で、ずーっと解決しない因縁が続く。

 

 

 

人との相性は大事だ。 相性は目に見えないもの。 趣味や思考が一緒だとしても相性の悪い相手はいる。 感覚的なものだから「相性がいいな」と感が働いたら、きっとその人とは長く続く間柄だと思うし、その逆であったら、その人とは距離を置いて避けたほうが良いと思う。

今年の11月以降、不思議なことが起こっている。

6年前におつきあいした人と、呑み屋で偶然会った。その後も3、4回と同じ店で偶然会って、いまはよく遊ぶ友達関係に戻った。

3年前にお付き合いした人と、銭湯で偶然会った。来年でも食事しましょうと言うことでライン交換して別れた。その後、たまに行く呑み屋でまた偶然会った。

15年前に恋人関係だった人と偶然呑み屋で会った。新宿の店を手伝っているというので遊びに行くようになった。

7年前に同じ呑み屋で一緒に呑んでいたが、今はまったく会っていない人の話をしたその2、3日後、夕方、道を歩いていたら向こうからその人が2人連れで歩いて来て自分のすぐ横をすれ違った。

これらはこの2ヶ月間で起こった。こういう話しは聞くことがある。再会に何の意味があるのかわからないが、立て続けで非常に不自然である。再会が嫌ではなく逆にうれしいのだから、不自然でも良い兆しのような気もする。

 

 

bearpond.hatenablog.com

 

 

ZOZOTOWN 買い取り不可ブランド達

ZOZOTOWN では、服を買い取ってくれますが、¥3,000以下のものやブランドによって不可ということで、ZOZOTOWN を通して一般的なブランドの価値観がわかる。

f:id:bearpond:20171226123137j:plain

↑コレが買いとってくれるブランド。

最近、Beauty & Youth の勢いが良い気がする。プレゼントとかしてる人のブランド盗み見ると、このブランドが多い。

 

f:id:bearpond:20171226123252j:plain

興味深いのは、↑「こっちのブランド達は不可です」ということ。ファストファッション系と、ブランドでもセカンドステージっていうの?安いシリーズが多い。いっつもバーゲンやってるし。ショップの内装やビジュアルイメージを今風にしてるが、簡単に言うと安売りブランドであると言える。つまりそれは、これらブランドは多店舗展開のブランドで、すごい量を作る量産服だというのが買い取れない原因だ。同じ服が市場にたくさんあったら価値が無いのはあたりまえだ。

売る服がない人には関係ないけど、コレを見ちゃうと、自分の持ってる服が、とあるWEB上だけでのことだけれど、まったく価値がない!ということがわかり、ブランドを気にする人達にとっては今後購入する触手が伸びるか?と疑問である。

スーパーの肉の持ち帰り方

f:id:bearpond:20171225232440j:plain

スーパーの地下に食料を買いに行きました。レジ終わって、台のほうへ移動。カゴから袋へ入れなおしていると、斜め前の40才ぐらいの細くて背の高いメガネにスーツにコートの男が、豚コマの肉のパックを逆さまにして、台にバンバンとたたいてる。「怖」・・・何やってるのか見てると、容器の上にかかってるラップを下にしてるから、そこに肉が乗っかって、そして、ラップを容器の裏側から丁寧にはがして、肉をそのラップで上手に包んで、自分の持ってきた紙袋の中に入れていた。 つまり、容器が必要ないということだろう。 肉は全部で3つ。同じように、逆さまにしてラップに肉を落とし、ラップをはがし、そのラップで肉を包んで紙袋へ・・・容器が、がさばって家に持ち帰るとゴミになるからだと思う。それにしても、容器のラップで包んで持ち帰る技は初めて見た。何だかすごい違和感。ちょっと気持悪いかも。でも効率的ではある。 堂々とひるみもせずにする肉の持ち帰り方に感動。 相当手慣れた手つきであった。 普通のサラリーマンってところが違和感だが、主婦がやってたら技ありであるが、若いサラリーマンが堂々とやってるのって・・・

昔の肉屋では紙みたいな長いもので包んでくれたっけ。だけどスーパーで、それもラップだけってのは、どうかなぁ・・・・

個人の好き嫌いで良い悪い正しい正しくないを言ってるコメンテーター達のくだらない人格

くだらないテレビのワイドショーを見るとはなしに観ていると、貴乃花の無言劇に、元スポーツ選手が「自分達のまわりも皆言ってますよ!絶対にしゃべったほうがいいですヨー」とか、軽く言ってるのに腹が立った。マスコミで個人がそんなこと言う権利はない。みんな知りたいと思ってるからしゃべれよ!、みたいな、どんだけ人の不幸や噂が好きなんだろうな、って思った。一見、論理的に正しいことを言ってる風な顔したテレ朝のある評論家がワイドショーで、横審という組織に反してるのは良くないからじゃべれ、とか、ただの好き嫌いを頭良い風に言ってるのが気に食わない。報道の自由はあるがコメンテーターというただの道ばたて悪口言ってるような不必要な者達が論じることで、ノンポリシーな主婦達が洗脳されるのだろうかと思うと、コレも腹が立つ。 こんなテレビを見てる自分にも腹が立つ。実にくだらだい!

北朝鮮もトランプもイスラエルも、今、この瞬間に、自分たちに被害が来るわけない。遠く何万キロ以上も離れた所で起こってることをテレビと言う受信機でマスコミが話題性と視聴率が目的で私たちのすぐ近くにある危機のごとくあおっているのだ。

こういうと「ミサイル日本海に落ちたじゃない!東北のほうはまさに危機じゃない!」と言うだろうが、落ちたら謝ります。でも、今、この瞬間、すぐ落ちないです。だから、まったくの不確実性の話しを、今から2時間以内に落ちないことを、テレビで「落ちる!落ちるんだ!絶対にいつか落ちる!」と脳にいらない情報を入れられてるのです。

昔、新宿ゴールデン街で呑んでいた時期、ここには世間の状況、政治などなどが、ほかのエリアの呑み屋と違って個人の主義主張が自由、つまりタブーではないので、自称評論家、またはコメンテーターのような人達が夜な夜な議論をしていた。 こういう場所ではいろんな情報を知ってる人は一目置かれるが、政治も経済も国際情勢も何も知らなくても、知ってる人達と何も変わらない。 知ってる人はただ知識をひけらかしただ議論だけがしたいと言う人種だ。

自分はわかっている。テレビで国際情勢や北朝鮮の情報を逐一知ってるという人と、まったく世間の流行も情報もテレビも興味ない人とは、どちらも死ぬときは一緒だということ。知ってるからと言って何も「得」はないということ。 むしろ、くだらない情報を頭に入れてしまったが故に、間違った行為、行動にでる可能性があるということを。

f:id:bearpond:20171225181443j:plain

不忍池

f:id:bearpond:20171224221205j:plain

f:id:bearpond:20171224221221j:plain

f:id:bearpond:20171224221233j:plain

上野 不忍池です。外国人観光客がたくさんいます。

大道芸人がたくさんいます。でも、芸人ではなく音楽家の演奏がありました。 ひとつは日本人のサックスフォン4人とドラムという構成、チンドン屋風の曲調で、派手な衣装でにぎやかに動き回って演奏してましたが、そこから池のほうへ行った所には外人のチェロ弾きが渋く奏でていました。このチェロ弾きとサックス楽団の音楽性の差というものがあまりにあり過ぎて、音の違いというのもそうだけれど、サックス演奏楽団があまりに下品な音色で、悲しくなりました。チェロ1台の潔さ。体に響く音色と、根本が違うものだった。 日本人と外人という差だけではなく、演奏で「楽しませる」方法が、ただ、にぎやかに目立つ演奏でいこう!と考えただろうことが見え見えであるために、深みがなく薄っぺらであった。

ロングダウンコートは卒業しよう:モンクレール&デュベチカも卒業しよう(ユニクロは論外):ウールのコートを着よう!

f:id:bearpond:20171220192258j:plain

きょうのWEAR・P-コート・ロカバールマフラー・茶編み上げブーツ・BAG(キャラバン)・中綿ベスト:HERMES  ハンチング:CA4LA 

 

寒い寒い毎日であります。 女子(おばさんも含む)には定番となったロングダウンコート。このアイテム、いつから皆、着だしたの? ヒザまであって暖かいし中に何着てても全部隠れちゃうし自転車に乗ってるオバさん達には必需着。 ¥15,000円ぐらいの安さでロングダウンコート買えちゃうから、今年だけ着たおすつもりで買っちゃおかな。。といって買っちゃった人が多いと思う。

しかーし!

自分、ロングダウンコートをカッコよく着てる人、見たことなし。

皆、築地に魚を買い出しに行くって雰囲気です。ほとんどの人がダウン自体の色も、コーディネイトするバッグも靴も、ロングダウンに全然、あってない。それは秋に着てた服の上に何も考えずにダウン合わせちゃってるから。面倒だけどロングダウン用の服を着ないとファッションにならない。体型と色選びで失敗するということのほかに、一番の問題は、看板は汚く、建造物の質感に、路面の味気なさに、すべてグレー色の日本の街のビジュアルにダウンが合わない。

通勤で着てる人、電車でダウンコート姿、どう考えても違和感あり。落ち葉舞い散る広い公園やそういった場所をゆっくり歩いているなら何も違和感がないけれど、ダウンコートで満員電車って・・・ダウンコートで急いで自転車走らすって、絶対おかしいです。

ファッションとオシャレを前提に話しているので仕事着でダウンを使ってる人はそのままでいいので問題外ですが、では通勤に自転車に、何を着たら環境に不自然ではないか? それはやっぱり「ウールのコート」でしょう! カジュアルシーンだからってウールはちょっとね、ということはないはずです。いまは軽いウールのコートは各メーカーからいろいろ出ています。

ウールのコートは重い!ダウンほど暖かくない!ってのがちゃんとしたコートを着なくなった理由だと思うけど、ダウンコートって自分は一昨年、全部処分しちゃいました。自分は男だからダウン着て魚河岸風兄さんになっても問題ないけれど、女子はヤバいでしょ? ダウン着てる女子、男からみたら、全然可愛くないです。いつものワンピースにそのままロングダウン着ちゃうと、バッグもシューズもまったくマッチしてないし、どこかガンバってるアジア人(日本もアジアだという人がいるけどこの場合のアジアは後進国という意味)に見える。日本人にダウンって似合わない。顔やスタイルに合わない。 どんなにドレッシーなダウン作ったって、カジュアル&アウトドアのアイテムです。 それをエレガンス系にコーデしたってチープです。ダウンは見た目が高級感が出ないアイテムだからです。どんなに高級なブランドのダウンコートでも、着方でどんだけでもチープにはなるが高級には一切ならない。

f:id:bearpond:20171220193318j:plain

↑ステキですか?。ドレッシーにわざとダウンあわせてるがテカテカの質感がやっぱり無理。ちなみにこのダウン、DUVETICAらしいが、もうひとつのダウンブランドで皆が着てるMONCLERよりはモダンだけれども、やっぱりデザインはダサい。TVドラマで有名になった松嶋菜々子の「家政婦の三田さん」が着てて有名になったDUVETICAだけれど、価格はMONCLERよりは安く実際に手にとると質感はかなりチープです。そのMONCLERは、どう転んでもデザインがダサい。毎年出る新作も誰がデザインしてるのこれ?って思うくらいダサい。恐ろしく価格が高いのにデザインがまったく田舎の服屋の次元。

f:id:bearpond:20171220193841j:plain

↑これMONCLER  ブランド聞いて一瞬、ステキ?!って思っちゃうけどスチールのボタンのガサツさや外人サイズ感で、どこかワイドだったり、実際に着るとすごくダサいですMONCLER。その実例、自分、MONCLERのレアなダウンジャケット持ってましたが、

コレ↓

f:id:bearpond:20171220194104j:plain

10年前ぐらいにチャラい色が気に入って買ったが、やっぱり着てるとシャカシャカ音がするし、サイズ感が外人のサイズだから、ジャストなスタイリングできない。デザインも細部の寸法に技がなくて雑である(日本人向けじゃないということ)。一昨年処分しました。

f:id:bearpond:20171220194357j:plain

こういう若い子が着てると、どんな服でも問題ないのです。問題はオバさんがグレージュ色やくすんだ色のロングダウンを着てしまうと、すでにぜい肉が体中に付いているのに、すでに猫背になってるのに、すでに歩行がヨチヨチ歩きなのに、頭からヒザ下までおおってしまうスポーティーなロングダウンは、残念ながら、あなた達にはまったく似合いません。

f:id:bearpond:20171220194648j:plain

ロングダウンはこんな風にラフに、前なんかファスナーしめないで、裸足で、着たらカッコいい。でも実際はこんなのは無理なスタイルング。皆は寒そうに全締めで着てるので、魚河岸です。

イメージとして、ノルウェーの森と湖のそばに住んでて、そういう人がちょっとお出かけにダウン着てたら、環境とマッチしてキレイだと思うけど、日本のアスファルトの道路で汚い看板だらけでそういう街の中で、グレーのサラリーマン達がウロウロしてる銀座にダウンコート着てるって、やぱっぱりキレイじゃないし不自然だと思う。

 

f:id:bearpond:20171220200809j:plain

↑きのうの秋葉原。こんな雰囲気のないグレーな街=日本に、ポリアミドのダウンでもウール調のダウンでも、どんなダウンコートでも合わない。

 TPOで服を選ぶ人は多いけれど、もうTPOだけじゃなく、街に合ってるのか?ということが大事。 自分の好きなスタイルがその街やエリアとミスマッチであったなら、その服は好きな服でもおかしいのです。違和感あるなーと感じる感覚はご自身のセンスです。自分が歩く日本の街並みは何色?質感は?雰囲気は?というのをもう一度、良く考えたほうがいい。

ピンクを上手に着てる女を見たことない

あくまでも布モノのファッションに関して、ピンク+黒 ピンク+グレー は、汚れたぬいぐるみを想像させて汚いイメージがあります。 よく、ピンクにはグレーが合う、なんておっしゃってる方がいますが、あくまでもプラスチックなどのプロダクト系の商品には合うかもしれませが、布地では田舎の中学生の私服のイメージです。

f:id:bearpond:20171218173643j:plain

f:id:bearpond:20171218173631j:plain

ピンクに黒は、場末感と不潔感が漂う。まったくの新品であったならよいが数回使用した服や靴では、黒が薄汚れたりグレーが黒ずんだり、とても残念なイメージになってしまう。

f:id:bearpond:20171218173828j:plain

この色の組み合わせ、新品でショップで見るといいかな?!って思っても、使用していくうちにグレーが汚れて貧乏臭くなり逆に幼いピンク色がよけいに悲しい色に映ります。

f:id:bearpond:20171218174018j:plain

これもそう。 黒にピンクって、ダサい。田舎もんの靴。何でこんな配色の商品作るんだろう?

f:id:bearpond:20171218174104j:plain

防衛大臣 もう何も言えないファッション。こういう趣味の方は皆、ピンクが好き。どこか少女の時代のあこがれがあったり女をアピールしたいと言うあんちょこなかんがえがあったり、だからピンクは危険。第上級の難しい色。

よく、デートにピンクを着てく女いるけど、あれはやめたほうが良い。男はピンク着てる女のイメージは「かまとと」か、逆に「好き者」かどっちかにしか思えない。どちらも男を意識して女をアピールしてることには変わりないのだが、つまり、男はピンク着てる女を粘着質で面倒な女、と思う。そういう、ぶりっ子的な女が好きな男もいるが、そういう男は親しくなるとがらっと変わっていつも新しいピンク女を追いかけるような、そんなチャラい男達だ。

f:id:bearpond:20171218174231j:plain

しかーーし! パリス・ヒルトンは、お・み・ご・と

絶対にピンクに黒やグレーを合わせない、わかってらっしゃるオシャレなヒルトン。ワントーンでいくしかないピンク。 ピンクに黒は、SMクラブとか、怪しげなバー、そういう店のロゴによく使う配色。人体に使うのはファッショナブルにならず、おかしい。

PS: 黒髪の日本人にはピンクが似合わない。かといって茶髪にすれば似合うか?といえばそれも似合わない。茶髪にピンクだと田舎のキャバクラの下品なネェちゃんか色気付いたおばさんにしか見えない。

365日 悪人は悪人

f:id:bearpond:20171218142528j:plain

いつも行くバーのマスターがよその店にご挨拶に呑みに行くというのでおつきあいしてきました。言ったことのない店の雰囲気は若く騒ぐ客が多く大人の雰囲気ではないので落ち着かなかった。つまんないのでカラオケを3、4曲歌って時間をつぶした。40代というのはやはりバカ騒ぎが好きなんだな。

 

話変わって

人とはできるなら仲良くしたい。仲良く呑んで、仲良く話して、仲良く仕事して。しかし、とかくこの世は自分勝手な人、迷惑を考えない人、悪人がいるのがあたりまえの世界。道を歩いてても皆同じように見えて同じじゃない。突然キレて暴力を振るう若者がいる。普通に見えて殺人者だったりする。普通に見えてヤクザだったりする。

もともと人間は皆良い人だから・・・などと、バカなこと言ってる人もいるが、身内や愛する人が殺されたりだまされたりした場合にそんな偽善的なことが言ってられるか、です。

法律的に罪の重さが違うからといって「悪」の程度が変わることはおかしいことである。なぜなら、被害を受けた人の感情は、司法の罪の重さとはリンクしない。どんな些細な被害でも最大の「悪」だと思う人がいておかしくないのです。個人の感情で判断すれば、被害を受けた人にとっての被害度は、ちょっとした迷惑も、ルール違反も、詐欺も、殺人も、同等なのです。

自分の場合は「歩きスマホ」が2番目の「悪」です。昔の記事にも書いたが、迷惑を考えず自分だけ良ければいいという思考の「歩きスマホ」はそれをしている人の人格がたまたま通信末端というツールのおかげで表に出ただけの事なのです。つまり、もともと、その人間が持っていた「徳」のない人格が表面化しただけのことで、それはイコール、実は日本にはどれだけの「徳」のない人間が多かったか、ということがわかるのです。しかし1番の「悪」は自分の上司です。さんざんこのブログで書いてきた事なので省略しますが、コイツが1番の「悪」です。

どこまでが悪人でどこまでが許せるものか、そんな程度など関係なく、精神的にも肉体的にも物理的にも被害を受けたと思ったら、その相手を自分は「悪人」または「悪」とひとくくりにします。 悪人は悪人という人種なのです。時々善人だったり、時々普通だったりと、そう見えるだけで365日悪人は悪人なのです。

その「悪」は、年齢、性別関係なく、誰の中にも存在する。

もちろん自分の中にも存在する。

その「悪」をどうやって外に出さないようにするか、

どうやって自分を律するか、ができる人が、

「悪じゃない人」=「徳のある人」と考る。

bearpond.hatenablog.com

デザインすることを目的にしたデザインに気がついてないデザイナーだらけ

何となく録画しているテレビ番組「マツコの知らない世界」を観ていたとき、マツコの知らないパンの世界」っだったか、パンのいろいろの特集であったが、それを観ていて、目から鱗が落ちました。 

f:id:bearpond:20171217141453j:plain

f:id:bearpond:20171217141502j:plain

f:id:bearpond:20171217141514j:plain

ゲストが言った一言、

「看板やパンの文字は戦後すぐはデザイナーがいなかったので看板職人が作ったものが多い」

これです、これ。

 

何なのかを、長々と説明します。

 

まず説明しないといけないことは、自分は仕事では、面倒なのでデザイナー、またはアートディレクターと一言で紹介していますがグラフィックデザイナーではないのです。ロゴ文字をデザインしたりパッケージ作ったりカタログなどの紙ものをデザインしたり最近はウェブデザイナーというものもありますが、それらひっくるめて「平面」のデザイナーとジャンルずけますが、自分はそうではありません。

それで、若いときからいつも思っていたことは、

平面のグラフィックデザイン、その作品とデザイナー自身らを、

  「 気取ってて好きじゃない 」

とか、

  「 ミニマムをやたら自慢した作品ばかりでドヤ顔してるのが見える 」

とか、

  「 カッコいいでしょ、の主張ばかりが見える」 

とか、

  「青山・六本木・恵比寿・麻布 の腐ったエリアでのウケ狙い」

とか・・・

そういう風に思ってグラフィック的な処理が大嫌いで、いまも嫌いなのです。程度問題ではあるが、だいたいは「ステキにカッコよくデザインしました」的なものだけが目立って、デザインすることが目的でザインされたことがわかって気持が悪いだけです。

自分はデザイナーというものがほんとに必要なのだろうか? と、常々思っていた。 デザインすること自体は必要だが、[ デザイナー ] は必要ないと思う理由は、こういったミニマムシンプルでアイデアに溢れた発想での作品は、デザインすることが目的となり(目立ち)、「高飛車」で「イヤミ」なのだけであるから。

削ぎ落とされた空間でミニマム的なモダンな寿司屋と、下町の古くからのままの年代物的な寿司屋と、どっちに行きたい? 下町のほうがおいしそうだし古さも魅力だしカッコつけなくて気分が良いにきまってます。 こういう例をみるに、すべての場所にデザインは必要ないのです。

「やっちまった!」という感じのものあるじゃないですか?!

必要ないところに何でこんなことしたの?とかやりすぎ違う?とか、そう思う場所やモノがあると思う。たとえばファッションも、何でそこまでやるの?あなたに合ってないよ。もっと自分を知らないと。とか。モノもファッションもそもの自体の「らしさ」が無くなるようなことをしたらいけないのです。エリアも近代的にすれば良いということじゃないように。

 

しかし、デサインすることになってしまった場合、必要なのは、

 

  「そのもの本来に合った[らしさ]を守ること」であると思うのです。

 

そこで、「マツコの知らない世界」の話しでありますが、

パンのロゴや看板を看板職人が考えていた時代、そのロゴ文字や看板はとてもいい味を出していて、イヤミじゃなく、ミニマムでカッコつけたモノじゃなく、パンに合ったものであり、そのものらしさが溢れ魅力的であり、こちらのほうが正解であるのです。

当時は看板屋が頭をひねって文字を作った。そこには、商品の良さを第一に考えて究極のオリジナルなスタイルを作ったのです。いまは、そうではありません。パンだろうがワインだろうが酒屋だろうが工作機械だろうがシャンプーだろうが、ものの個性を考えずに、デザイナー達がメディアに受けるだろうという意識でマネにも等しい同じスタイルの文字や柄で仕事をした気分になっているのです。デザインとは、それを大学や専門学校で学んだ者が考えると、とんでもなく勘違いしたものが出来上がる。むしろ、営業職の者やデザインなどに関係ない者が仕方なく頭をひねって出たものが一番そのモノにそぐっているのです。グッドデザイン賞などあるが、くだらなく、あれが良いデザインだなんて世間に知らしめることは間違えである。

 ”グラフィックデザイナーとしての専門職は必要がない”

 ”デザインすることを目的としたデザイナーは必要ない”

を、この番組を見てて確信しました。

自分にお金をかけない、かけられない、という人はどんな人?

f:id:bearpond:20171216193752j:plain

呑み屋で、

あまり好きじゃない友達「きょうもオシャレな服着てるじゃなーい!?」

けっこう好きな友達「○○ちゃんは自分にお金かけてるからねぇ、」

と、のたまわれた。

これを分析する。

  自分にお金をかける=服などにお金を使う

という意味で、彼らは言ったと思うが、

人それぞれの程度はあるが、叶姉妹じゃないのだからして、普通にオシャレしているわけである。自分は派手でもなくむしろシックであるし、ブランドロゴのモノはさけているしファションに興味ない人には、何がオシャレで何がダサいかなんて、わかるはずないし、そもそもこういった話題すら出ないはずである。

また、ユニクロの服を膨大に持っていて毎日違うコーディネートしていても、「自分にお金をかけてる」と言えるのだろうか?それも変だ。

目に見えるファッションで人は判断するが、自分に金かけてないと言うくせに実は通信・末端(スマートフォンやゲームやら)に金をかけてる場合がある。SNS系は目に見えない部分である。そこにかかっていることを棚に上げて、人を無駄な浪費家のように言うのである。

毛玉だらけのフリースによれよれのカーゴパンツにスニーカーで毎日いる人が金をかけないひとだろうか? 見るからに安い服を毎日のように着ている?ということだろうか? スキンケアなどせず、肌がガサガサで持ってるバッグもスニーカーも破けてて貧乏臭い人の事だろうか? これでは、ただの「だらしない人」である。

1円でも無駄にできない、という人はいると思うが、中流程度の生活レベルでの話で語ってるわけで、服に金を使うのは「バカじゃないの?」「浪費家じゃねぇー?」と思うだろうが、「自分にお金をかけない人」はさっきも書いたがSNS系に、通信系に金を落としてるこに気がついていない。それ以外では、具体的にどこにお金をかけているのだろうか?

子供の養育費、車の維持費、老後の貯金、といった家族のため、今に使うのではなく将来のためのものだと思う。

「自分にお金をかけてるからなぁ」は、

”見えないところで金を落としてるのに気がついていない” 人であり、

「家族や将来設計にお金をとられるから自分の自由になるお金ないよ」

という、家族持ちの不満からでた言葉であった。

金額の問題ではなく、「自分と違う部分はどこか?」「どこに気を使ってるか」を、人は気にするという事だ。ネットや愛人に金使っても良いけれど、自分自身の「見た目」に気を使ったほうが良いと思う。スキンケアもちろん、ヘアー、ボディー、そういったもの全部に。

自分を大事にするということは自分に金を使うということ。自分の見た目に気を使うこと。だから、自分に金使わない人は、どこかホコリっぽい雰囲気で好きになれない。

f:id:bearpond:20171216202847j:plain

ウールコンビパンツ、コンビチェッカーブーツ、中綿ダウンベスト、中綿ドライバージャケット、ウールレーヨンハイネックセーター、ウールハンチング、バッグ(サクッシュプールセル):HERMES

人の一生を書いてみるとこんなもん

f:id:bearpond:20171215165447j:plain

一般的な人間の一生を考えてみる。

誕生→保育園→幼稚園→小学校→中学校→高校→大学→就職→結婚→マンション購入→出産→子育て→退職→退職金で旅行→子供の結婚→二世帯住宅→趣味を謳歌→老化(病気)→介護→死

  80年間、このような経過で人が生きて死ぬ。

 

自分の場合

誕生→幼稚園→小学校→中学校→高校→大学→就職→(現在)→退職→趣味を謳歌→老化(病気)→死

  結婚しないのでその後のイベントがかなり少ない。

そして、「死」の前の「介護」は意識的に抜いた。介護は受けたくない。自分が死に方選べれば、の話であるが。

自分の人生をフカンから、第三者的に見てみると、自分を意識していない時間が多い。

人生のイベント別に、時系列に、書くと、たかがこんなもんである。人生なんて、こんなもんで終わってしまうのであるからこそ、自分の幸せを一番に考えて、自分を一番大事にするべきである。

  ♬ For Myself  For Myself ♬

    ♬ 人は 自分を生きてゆくのだから ♬

          Music by 松任谷由実 “あの頃のまま”

同じ食べ物なのにメニューに違う名前で出てるとか載ってないとかイライラする

f:id:bearpond:20171213184124j:plain

岩本町(秋葉原)にもあるカフェのチェーン店「ベローチェ」に入った。

ドトールにはよく行くが「ベローチェ」はあまり行かない。アメリカンと、ホットドックを頼もうと頭上にある大きいメニューを見たら、

「粗挽きオールポーク・ドック」

というホットドックがあった。それを頼もうとしたら、店員がカウンター上のメニューを指差して

「プレーンですね?」と聞く。

 なんだ?プレーンって? と思って頭上の大きいメニューを見ても「粗挽きオールポーク・ドック」としか書いていない。しかし、聞き直したら、この粗挽きオールポーク・ドックと言うジャンルの中にある一番シンプルなものが「プレーン」というものであるらしい。しかし、頭上のメニューには「プレーン」とは書いてないのだ。

例えば、メニュー版に「コーヒー」と書いてあり、コーヒー下さいといっても、レギューラーですか?アメリカンでしか? などと言う風に、「粗挽きオールポーク・ドック」ください、と頼むということは、「コーヒー下さい」と頼んでしまうことなのだ。実際にある商品は、違う名前なのである。

かなり細かいことを言ってるが、同じ商品なのにメニューと看板にある商品名が違ったり、無い場合がかなり多い。

場所を移動して、とある商店街の中華料理の外看板に「鶏肉入りラーメン」とあり、白湯でおいしそうだったので入ってみたら、卓上のメニューには「鶏肉入り野菜タンメン」と言うものしかなく、「鶏肉ラーメン」下さい!といっても「鶏肉入り野菜タンメンですね?」というから、何回も問答し、まちがえるの嫌だから、店員に外まで来てもらって看板指差して 「これです、これ!これ下さい!」という始末。

結局、「鶏肉入りラーメン」と「鶏肉入り野菜タンメン」は、同じものであった。

こういう小さなどーでもいいかもしれないことは、仕事だとかなり重大なミスになる場合がある。飲食では気がついていてもメニューを印刷するのが面倒だったり金がなかったりでほっとく場合が多い。しかし、「なぜ、違ってしまったのか?なぜ、同じでないのか?」という疑問がフツフツと沸き、製作者に聞いてみたいのである。理由を知りたいのだ。自分はこういうことがすごく気になる。理由が知りたい。しかし、たぶん大それた理由はないと思う。

たぶん理由はこうだ。「そういうことは深く考えていない」、だと思う。

「違っても、別に良いか・・」とか、「聞いてくるだろう、客が」とか。

しかし、客にとっては納得いかないストレスである。

全身茶色でキメると爽やかさが無くなって気持悪くなる確率が高い

f:id:bearpond:20171210225256j:plain

f:id:bearpond:20171212172627j:plain

近所のショップ(服屋)に行った。 細身の男性50代ぐらいでビトンの市松柄の茶のボディバッグに茶色のレザー&ニットのコンビのジャケット、茶のハーフパンツ(ゆとりのある、たぶんスウェット地)に黒のスパッツにブーツ、茶のハンチングにメガネ、というキメキメの男性がいた。たぶん全身ブランドであると想像できる。 これは反面教師!いかん、いかん!自分もアーなっているのだろうか?

しかし、ハーフパンツにスパッツって、登山人やマラソンマンがしてる、あのスタイルであるが、オシャレでやるとかなり気持悪い。

全身ブラックでまとめるのはバブル期のデザイナーズブランドを思い出させて危険であるが、全身ブラウン色ってもの、やりすぎである。1mmも爽やかさがない。男の場合であるが、4、50代以上がハイブランドで固めるとかなりキモちわるい(自分のことか?)。

年取るとカジュアルのほうが、好感度は高い、と思うけど、安っぽくなるのはさけたいので、とても難しい。

女の場合は、年代によって危険な服がある。その代表選手がチェックのネルシャツだ。たまにきてるおばさんがいる。が、ネルのチェックシャツほど貧乏臭いものはない。あれは学生や浪人生やオタクが着るものである。さらにダメージジーンズも。

つまり、女はメンズの服をそのままきてイカンのである。ちゃんと女子用にデザインされたモノを着ないと、だらしなく見えて下着も汚くて背中にブツブツありそうで、ソックスに穴が空いてそうで、、、などと思わざるをえない。

永遠とは

何回も、何回も、読み返す本、「ポーの一族」by 萩尾望都

f:id:bearpond:20171208232809j:plain

死んだらどうなるのだろう? 永遠とは?

霊魂とか心霊とかになると、オカルトとして一般には敬遠されるが、

「哲学」となると、ヤバい感じ(宗教とか)は薄れる。

 

命は、永遠なのか? という疑問では、

命 そのものの定義が、必要だ。

命とは、心臓の鼓動なのか?

内蔵なのか?

魂 なのか?

意識 なのか?

 

「永遠でないもの (消滅するもの)」がある、ということは明白である。

その、「永遠でないもの(消滅するもの)」があるということは、

反対の「永遠」が存在しないと、成り立たないのである。

「無に帰すモノ達(消滅するもの)」の概念があるのは、

反対の「永遠」が存在するからである。

 

今、現実に起こっているか、見えているものすべては、いつか無に帰す。

諸行無常」ということである。それはわかっている。

だから、

”無に帰す” ものがあるから、「無に帰さない」ものがある、ということなのだ。

つまり、

心臓が止まって肉体が滅んで無くなっても、

無に帰さないものが あるということだ。

無に帰さないものは、

「意識」だろう と、思う。

「死」とは、物体だけが無に帰すこと。

いま、モノを考えたりすることとは違うかもしれないが、

「自分」という「意識」は永遠に存在する。

そうではないと、

「死んだわ終わりである」という発想自体(概念)が、存在しないのだ。

bearpond.hatenablog.com

 

 

目に見えないところにある相性=感覚の前には理由なんて何の力もないのである

たまたま、貴乃花の話しになったときに、

「あの人嫌い! 何だかふてぶてしくって、生意気で、きらい!」って、息盛んに言ってる人がいた。 嫌いな人は嫌いだが好きない人は好き。理屈なんて関係なく、好き嫌いの天と地の差は追求してもしょうがないこと。

恋愛もただの好き嫌いも、食べ物の好き嫌いも、全部同じだと思う。

だからすべては「目に見えないところにある相性」でしょう。

 「理屈」ではく 「感覚」

その感覚がほとんどを占めてると言ってもいい生き物が「女」なのです。

会社でも家でも近所のスーパーでも、何かのトラブったときに、女性に理由を説明してわかってもらおうとしても、正当な理屈は通らないことを自分は良ーく知っています。つまり、女性には理屈は通らない、のです。

すべては「好きか嫌い」「敵か味方か」であるのです。

そこが重要なポイントであるから、世の男性はそこが欠けてると女性を説得することはできないし(女性から逃れることはできない、とも言える)そういうことをわかってる男を、女性は安心するのです。感覚の前には理由なんて何の力もないのである。

男は女の支配下にある。

老人ホームや介護施設では男性はやはり女性を、女性の介護士、看護師を頼るのである。男は男同士というが、男は男には弱みを出せないのである。母親と子供のように、男はいつまでたっても子供であり、女に弱音をはけるのが男であり、そんな人生最後の状況で、やはり女性に頼りたいのが男なのである。が、女性にとって、頼られていい男と、頼られてほしくない男、がいる。仕事だったら良いが家では嫌だ、という女性がほとんどだと思うが、そこにはただ、単純に、この男が好きか、嫌いか、敵か、味方か、が重要なのである。

 

f:id:bearpond:20171208180847j:plain

きのうは還暦のパーティーをしていただき、終電が無くなり、タクシーで夜遅くに新宿2丁目へ行った。知り合いが店を手伝っている、その店である。がんばって始発まで呑んだが、無理はできない年齢であった。しかし、新宿の客というのはどこかクールで、人との距離を知ってる、そんなプロの飲んべえだな、という気がした。 朝5時、新宿2丁目仲通りはまったく人がいない(画像参照)。空車がポツポツ通るが、こんなに人が少ないから、きっと飲食店はかなり売り上げが少ないはず。世界最大のゲイタウン新宿2丁目はかなりさびれている。マツコとは遭遇しないが一体どこで呑んでいるのだろうか?

f:id:bearpond:20171208181502j:plain