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おとこひとり

60才まえに会社を辞める決心!悩んで身体壊して見つけたもの。

人のためか自分のためか?失敗しないために生きるのか?うまくいくと思って生きるのか?

洗脳

会社というのは誰のためにあるものでしょうか?そして何のためにあるのか?

経営者?株主?お国?経済発展のため?職の提供?労働者のため?
仕事とは何のためにするのでしょうか?
お金のため?生活のため?子供のため?教え込まれた常識として?無職じゃ恥ずかしいから?
働かざるもの食うべからず、という教えがあるから?
人として当たり前のことだからでしょうか?

小さい頃から、親から、先生から、そうすることがあたりまえのように教育され、良い会社に就職したいと思うのはあたりまえで、満員電車あたりまえ、我慢あたりまえ、遠距離通勤あたりまえ、残業あたりまえ、出世願望あたりまえ…さらに、上場会社で働けば良い生活ができる、高層マンションに住める、合コンでポイントが高い、良い結婚ができる、、、

これって普通でしょ、と、片付けて良いのだろうか?

子供がジュースを持って席に移動している。
親は「こぼさないでね、こぼさないでね、気をつけなさい!」と声をかけながら、子供はビクビクしながらジュースを持って歩いてゆく。
ジュースを床に落としちゃったら、せっかく買ったジューがもったいない、床が汚れて大変だ、面倒が増える、できない子だとまわりに思われる、、親が考えるのはだいたいこんなもんだろう。しかし、これでは子供がかわいそうだ。
「子供育てるの大変なの、そんなこと言ってられないの」という親はいますぐその考えをやめて欲しい。自分も子供時代の犠牲者だからだ。子供だからそんなこと覚えてないと思うでしょうがそれは違う。深く心に刻まれているのです。
エゴのない親だったらこう言うはずだ。
「大丈夫!持って行けるよ」「心配しないでいいよ。できるよ」「急がなくていいよ」
駅や店や家でもいろんな状況で注意される場面がある。
しかし、仕事でも、失敗しないように頑張る、と言う、一見まともな考えが、この子供の頃の洗脳が大人になって影響してくる。自分の気持ちと他人から受ける言葉の違いはあるが、どちらも失敗を前提に考えていることは同じだ。だから、人との関わり合いにおいて、何をするにしても高く灰色の壁のまえにいる自分、視界がすごく狭く光がほんの少ししか入らない、希望のみえない失敗を恐れる状況にいる自分、を感じる。さっき言ったように子供に注意する普通の親がそうなのだから、そういう親に育てられた子供(自分)は、限界あるものからの発想、マイナスからの発想になり、「世の中は大変なんだ」「気を抜くと転んでしまう」「失敗しないように準備してから始めないとダメなんだよ」という、恐怖からの逃れるためにビクビクした不安を抱える人生になってしまった。もちろん、この教育は今の社会だからそういう教育がなされている訳だが、はじめに書いたように、自分を良く見せようとするエゴによっての行為はこういった恐怖からくるものだと思う。良く見せようとするのは他人からの悪い評価を受けないための防御だからだ。まず動機が、失敗しないように、悪い評価を受けないように、そんな自分を前提にすべて物事を考えるから、成功するための発想じゃないから、これではいい結果が出る訳がない。
心の中で出発する最初の動機の間違えを持った人とは、どんなに話し合ってさまざまな問題を解決しようとしても解決しない。だから、コンセントを抜くように自分から会社を辞めて関係を終了したほうがいいのだ。生活の問題は残るだろうが、退社は、それはそれは、自分の成長にとってとてもハッピーなことなのだ。

…つづく

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