おとこひとり

59才おとこ・筋トレ・服・デザイン・時代・哲学

満足が欲しい、もっと、もっと・・は不可能です。

 

その上司は信じられないぐらい愚痴が多い。いい話は、ほとんど聞いたことがない。

愚痴というのは、「ストレス発散だから言った方がいい」、とか、「ガス抜きだ」とか、そういう情報を読んだことがあるけれど、自分一人で鏡にでも向かって言ってくれてたら「どうぞいつまでも言っててください」と、いいたいが、ほとんどの人は人間に愚痴を言う。愚痴を言う人同士が集まって愚痴を言うのは、どうぞ。と言いたいがそうもいかない。なぜなら、不平不満を発すること、怒りとも同じだが恐ろしいほどのエネルギーがその場の空間に充満し、関係ない子供やウェイトレスとかそういった人にまで知らずに影響しているのだ。精神とはそういうモノを敏感に感知するのだ。

愚痴を言う意識、というのは何なのだろう?

愚痴は不平不満が言葉になって出たものだ。いつも、何かに対して大きい小さいはあるだろうが、判断基準が「不平と不満」で物事を考えているということだ。それが、「クセ」になっている。スーパーに買い物に行って、いつもの野菜が高かったからといってグチル。パスカードが改札で認識せずに通れなかったからグチル。旦那が・・・でグチル。ファストフードでも、ファミリーレストランでも、こじゃれたカフェでも、もちろん自分の会社の上司も、愚痴のオンパレードで、見えない電波と同じ量で自分に襲いかかってきている。

愚痴は人間関係のツールとなっている気もする。

人とのコミニュケーションに挨拶替わりに愚痴を言う、そうすることで自分は不幸なんだよ、あなたより不満が多くて大変なんだよ、といった卑下した感覚、日本人だけじゃないのか、こういうのは。お使い物を差し上げるときの「お粗末なものですが・・・」と似ている。相手が「そんなことないですよ、うちなんかもっとひどくて・・・」と、不満の話題で話は盛り上がるのである。こんなひどいコミニュケーションがあっていいのだろうか?(誰もが普通にやってる気がする)

自分は愚痴にたいしてかなり敏感になっている。なんせ10年も上司から愚痴を聞かされていたのだから(それもあって会社を辞めるのだけれども)。

昼間に愚痴を言うのは女だ。そして夜の居酒屋で愚痴を言うのが男だ。
愚痴を言って「あ〜すっきりした!」と、いっている者は聞かされている者の身になったことはあるのか?ないだろう。そういう自分はこのブログで愚痴を言っているのだろうか? いや、愚痴を言う人はまったく理解できないが、愚痴を受けてしまう自分の姿勢が、良くないのではないか? と、考えているのです。あくまでも冷静にです。

これは自分の勝手な考えだけど、不平不満を感じて言葉に出る、というのは「人を怒る」と同じく、自分の「さらなる強い満足感をもとめる欲求」であると思う。
前の記事にも書いたけれど、人を怒る人の理由として、怒りの興奮や高揚感で欲求不満(満足感)を求め、一定の満足に達すると怒りが静まり、また、満足しなくなるとそれを繰り返すということ。もっと、もっと、欲しいんです。満足が。ということを繰り返し無意識にやっている人たちです。
「今のままでいいじゃない」という考えにならないんです。
一回、不平不満を言うと、次にはそれを超えた、さらに過激な不平不満を言い出すのです。麻薬の症状と同じです。言い過ぎでしょうか? たかが愚痴で・・・ と、思ってるあなた、ここに心療内科にまで通った被害者がいるのです。でもそれは人のせいではないと思っています。愚痴を言う人が悪い、と言っているのではなく(もちろん言わないことに越したことはないが)、「愚痴に反応する自分の状態」に問題があると思うのです。

・・・つづく

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手作り感あるカフェ。民家改造のね。でも自分の体型ではイスが小さすぎのカフェ。相席テーブル多し。ちょっと苦手。女の人向けだなぁ〜絶対。無意識にそうなっちゃうのかなぁ?