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おとこひとり

60才まえに会社を辞める決心!悩んで身体壊して見つけたもの。

カチグミマケグミーいやな言葉だからカタカナでぼやかした。

自分は「勝ち組(以下カチグミと書く)」だと言ってる人が、まだ、いたのか?と思った。
・・・うちの社長だった。
このフレーズを作った人、それを流行らせたマスコミ、を自分は軽蔑する。そして愚かな人はそういう風潮に調子ずいて乗ってしまうからだ。
たかが言葉、 だが、このフレーズには 恨み、憎しみ、怒り、へつらい、などモロモロなネガティブな感情を多く感じる。
「カチグミ」といってる人は、「人より金を儲けた」というように、人との比較から成り立っている。その人が成功するにあたって何人、何十人、何百人以上の人達を不幸にしたのか?他人が不幸にならなかったら自分の成功と言われているものは成り立たないのです。成功するには、金を儲けるには、だれかが失敗や損失したから成功したので、それを本人の努力であると勘違いしているところに大きな間違いがある。あなたが勝ったのではない。あなたの言っている「カチグミ」というのも、誰かが失敗したのであなたが勝ったようにみえるだけなのですと、教えてあげたい。失敗する人がいなければみんな成功者といえるしこう言った比較の言葉は存在さえしなくなる。
たとえば、そのカチグミと言ってる人が駐車しようと、さーっと強引に入り込んで駐車場を陣取ったとする。そうしたら、そこに入ろうとしていた人は入れずに困ってしまう。この入れなかった人は、それだけでも小さな不幸だが、その車のなかには臨月の妊婦がいて近くの産婦人科へ連れていく予定で来のだが路上は停められずに、時間はかかったが病院へ行くが結局、妊婦は流産してしまった・・・。この悲劇の人達の悔しさ、怒り、無念、そうったマイナスな想念というものは行き場をなくし(実は行き場はあるが)存在し続け、駐車場に先に停まった人の方へ向かっていく。
これは作った例えばの話だが、こう言う連鎖は必ず起こっている。
もうひとついうと、電車のドアの両サイドに、ひと一人が立てるスポットがある。自分だけのスペースですぐに出れるし寄りかかれる楽な場所だ、が、ここに人が立つと出入りがとても邪魔だ。同様にシートの両端の席は人が電車に乗り込んでなぜか最初にこぞって取ろうとする。こういった場所には、その場所が取れなかった人達の想念(悔しいなどの)がずっと溜まっている。自分はこう言った場所は絶対に避ける。電車じゃなくても、何かしら自分の利益となるところには、他人もそう思っている場合が多く、獲得や達成できなかった人々のマイナスの想念が溜まっている。もし、「そんなのある訳ないじゃん」、という人は、今度、カフェでもレストランでもスーパーのレジでも、自分がその人気の場所にいたら気を付けて人の目を観察してみるといい。必ずあなたのいる人気の場所を誰かが一瞬でも見るはずだ。そういう人の心の中には、そこが取れなかったという悔しさや無念さや怒りと言ったものが無意識に少しだけだとしても必ずある。自分に置き換えたら「ある」とすぐわかるだろう。その悔しさが人数分になったら、すごいことになるのが想像できるだろう。
人は、まず自分が邪魔されない場所を確保する。そして、次々にその場所の取り合いになる。場所が確保できなかった人も、確保できた人も、皆、「いい場所を確保しよう」としている時点で、「自分さえ良ければいい」、といった考えで行動しているので同じだ。なんだか60前の頑固親父の理屈っぽいし愚痴か批判的すぎる感じがするかもしれないが、批判している訳ではなく愚痴でもない。わからないで行動している人が多すぎると思っている。なぜなら「いい場所」には先に書いたように、人の悔しさなどの想念が溜まっているから、本当はけっしていい場所ではないからだ。

なぜこのような競争社会になってしまっているのだろう?

競争し、それに負けないように人より早く先に、先に、先に・・・

間違った方向へ行っていることに気がついて小さなことから修正している人はどのくらい今いるのだろう?
普通の人が好まない場所、位置、行動、は、人のマイナスな思いをためず、何よりも人(自分)のためになるはずだ。皆がそういうふうに行動すれば競争や勝敗などは起こらない。
いい場所を取った成功者たち。事業でお金を儲けた人たち、そういう人達は成功したという事実や自分の努力だけをみていて、背景にはにたくさんの人の排除、失敗、悲鳴、憎しみ、中傷、羨望、落ち込み、といった思いが消えずにあることに気がつかないで、他人の不幸で固めた地面に建った豪邸に住む自分を「カチグミ」と思ってしまうところが、とても愚かだ。

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駅で拾った1円。