ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

レトロで場末な山中湖〜心をほぐす小さな旅

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山中湖には観光客向けのスワンの形をした足漕ぎボートが10、20個と、湖岸にあるピットと呼ばれる簡易桟橋に並び、何度も塗装しなおしたスワンの顔が場末感たっぷりの垢抜けない山中湖、それは小さい頃の記憶と変わらなかった。

新宿のバス乗り場を一か所に集めた新しい乗り場「バスタ南口」がオープンし、その乗り場から発車する高速バスで山中湖へ向かった。途中には富士急ハイランドという有名な遊園地があり、バスには若いカップルや韓国の若者たちが一緒に乗っていた。運転手を含め、たぶん年齢では自分が一番上だろう。やや場違いかな、と思いながら・・・。
東京駅から出る高速バスにはよく乗ったがそれ同様に快適だった。高速バスの乗務員は丁寧な気がするのは金額が高いせいからなのか?だったら現金な話だ。

新宿から2時間半で山中湖へ着いた。
トイレのような恥ずかしいくらいみじめなデザインのバス停で降りた。
湖面にはガスが出ていてとても幻想的な風景、道ひとつ挟んで湖の反対側は深い緑のキレイな森林で、周りには人はほとんどいない。東京に人が多すぎるのか。車だけが勢いよく走る道の歩道を歩いて目的地まで行った。

上司との関係は、辞める話をしてから向こうも考えたようで、対応の感じが変わった。愚痴や怒りなどの感情はその当時、意識的にしていたわけではなく、どうしてそうなったのか、今はわからないという答えを引き出した。 感情のコントロールができずにまだ未熟な部分があること(それはわかってはいたが)、そして、その感情のエネルギーが人より強い故に、良いことも悪いことも人への影響が大きくなること、それらを自分で認識できないのならば、その影響は、人を不幸にできても幸せにするここはできないので、人の上に立つ仕事はやめたほうが良いのだ。(そこまでは言えなかったが)
経営者にはこういうタイプはたくさんいる。自意識がなく無意識で行動する。常に被害者意識があり批判される事を極端に恐れている。そういう人に限って人の上に立ちたがる傾向があり、他人を自分の支配下に置きたいという欲求が潜在的にある。生命力が強いので対抗するとエネルギーを吸いとられてしまうのだ。味方につけばこんなに頼もしい相手はいないが、次の瞬間には敵になる可能性があるので、こう言う人には他人で親しい人はいないはずだ。

山中湖へ行ったのは、その上司からある施設の管理人のような仕事をしないか?という話からだった。辞める話をしてから上司とは距離ができたせいか自分も落ち込むことなく冷静に話ができる。上司と社員という会社の関係ではなく昔飲んで遊んでいた頃の関係に戻ったようだ。「…ねばならない」や「…そうあるべき」といった垣根がなくなって話せる、それは非常に楽で自然だ。

会社組織の「…であるべきだ」という刷り込みは知らぬ間に働く人間を駄目にする。いつも緊張し、ビクビクし、失敗しないことのみに集中し、そういったことがその人の1日の中でどれだけ占めているか、考えたことがあるだろうか?それが毎日普通に言われて働かされているのが日本の会社の現実だ。こんな平和の日本で、どこに精神的自由はあるのか?

東南アジアを旅したことがある人だったらわかると思うが、皆、いい加減である。適当、という言い方のほうがあっている。経済水準は低いが心の自由さは大きい。

会社のルールに個人で異論を唱えるのは力の無駄だ。人と同じで、会社を変えようと思っても変わらない。だから会社に不満があったら自分が変わるしかない。疑問は疑問として無理に解決するのではなく自分の引き出しに入れて、とりあえず今は置いておく。不満を外に言わずに、ビクビクも、不安も、不平も、引き出しにしまって表では無感情になってればいいのだ。いつか自分の気持ちが整理できたときにその引き出しの中身を捨ててしまえばいいのだ。自分でそう意識すれば会社の圧力など怖くなく言いたい奴には言わせておけばいいだけの問題なのだ。でも無感情でいることや無知とは違う。システムの間違えをわかった上で黙って見過ごす。
人から見て、何も考えてないバカな奴!って見える人、いませんか?
そいいう人は、そう考えてる可能性が大きい。「のうある鷹は何とか・・」というもの。

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