おとこひとり

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本物のチャネラーはいるのか?なぜセミナーなどをするのか?なぜ高額なのか?

94光年のかなたからロシアの天体望遠鏡が信号をキャッチした。と、CNNのニュースが・・・信号は一回だけだったそう。太陽とよく似た「HD164595」という恒星の近くから届いたとされる。とのこと。

はっきりと真実がわかるときはいつでしょうか。

 

スピリチュアル系の人のやってる癒しのセミナーとかをバッサバッサと気持ちよく切り捨てた記事がここHatena Blog にあり、よく読んでます。とくにチャネラーと呼ばれる宇宙意識からのメッセージを伝える媒体になってる人がやっている有料セミナーなどへの批判と注意に関する記事です。自分は宇宙人も目にみえない不思議も前世も信じます。が、チャネラー(だとされているが真実は不明)が多額のお金をとっていること自体、このブログの方と同意見で、批判的にみています。

 

 

チャネラーについて分析好きの自分が分析しました。いままでのつたない知識で書いております。(あくまでも自分の想像です、が真剣に考えました)

 

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1)ご本人が遊ばれている可能性と有料のセミナーについて

一部のチャネラーさんたち、ご本人たちは幼少の頃から霊感が強い方が多い、のです。いろんなプロフィールをみるとほとんどが幼年期に霊をみたり不思議体験をしています。しかし「高次元の存在」からではなく「低次元」、いわゆる「こっくりさん」や「きつねつき」「イタチ」のような低級霊に操られている可能性があります。子供の頃に、意識を乗っ取られ、高級霊を名乗って、自分には人を助ける「使命」があると思わされ、気つかずに大人になるまで操られている可能性があります。金銭のことも、多分、そのメッセージ内で言われていることでしょう。これは低級霊が人間を操って楽しむ、ただの「遊び」「暇つぶし」だと考えられます。

※霊界や見えない次元や存在があるか?信じるか?は今は論じない、とします。全否定では話が出来ませんので、スピリチュアル的な言葉は嫌いですが、使用をご了承ください。

 

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2)メッセージの巾

メッセージは、時に感動的で説得力のある内容を発信することがあります。それは、低次元の存在とはいえ、体を持たない意識だけの存在なので、人には出来ない、別の場所からいろんな情報を引っ張って来られるし、人を操ることが彼らの遊びだから、悪知恵が働くのです。Googleで我々が検索するようなもので、たくさんの情報を拾ってきます。しかし、もともと「人間のために良いことをする」といった意識がないため、物理的な専門用語でわかりにくくしたり、また、テレビドラマの予告のように「食いつきの良い部分のちょっとした情報」だけにすることで、わかりやすくて親切なメッセージだ、と思わせて翻弄させているのです。

 

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3)本物のチャネラー、は現実にいないのか?

 これは難しい問題です。目にみえないものだけに、はっきり断言できないのです。でも自分は、本物の方は居る、もしくは居た、と思います。または、世界のどこかに、まだ知られていないが居る、と思います。

本物か本物でないか?ということはそれこそ次元の低い話になりますが、よっぽどご本人自体が嘘つきでないかぎりチャネリングしていること自体は事実だと思います。ただ、「操られている人」なので、本物でない。ということになると思います。

自分が思う判断として、少額でも多額でも、有料のチャネラーはまったく信用できない、「操られている人」と判断されたほうが良いでしょう。では無料の場合はどうか?それは、一回だけ無料で、そのあとに講習への誘いや他の方法で金銭の要求があるかもしれません。だからタダより高いものは無い、というように逆に危ないかもしれません。つまり、有料などは論外ですが、無料であっても関係なく、その能力がただの「癒しや単なるアドバイス」、または「何となくありがたいお言葉」だけであったなら、そのチャネラーは、ただ「操られている人」だと思ったほうが自然です。人の知識と一緒で、メッセージを送るほうもレベルの差があるわけですから。

悪さをする霊や動物系ではなく、他次元からメッセージを受けられるイタコのようにちゃんとした人は居るかもしれませんが、そう言う方は決してセミナーなどという目立つ行為や大勢を集めたり、宣伝行為自体、しないでしょう。

最終的に判断出来ると思うこと、は、下記に書きました。

 

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4)今と昔の違い

昔、4〜50年まえ、その頃の日本ではチャネラーをイタコ、霊能者、霊媒師、と呼び、おもに守護、背後霊、亡くなった方の霊、を、あの世からの呼び出すといったことが多かったように思います。最近、宇宙意識といったものが海外から入ってきました。これは、いままでの日本的な霊とは違い、科学的で、地球の環境問題などへリンクしたり、現実感があります。最近では、死者の霊への関心より、人類の誕生の真実、創造主の存在、という宇宙の真実といったものに変わってきました。

 

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5)イタコ

宇宙意識、高次元、などの言葉さえも無かった時代、亡くなった人に、ひと目会いたい、いまはどういう気持ちか知りたい、ということを可能にしてもらえるのが恐山のイタコたち。彼女たちは一日に何人もの霊を降ろすと言う。その疲労は大変なものだ。だからメッセージの受信も混線したり、正確ではないこともある、と聞いたことがあります。日本には、こうした風習が昔からあったのです。それは故人を思う心。自分の悩み、苦しみを、イタコに依存するのではなかった。

いま、チャネラーと呼ばれる人に救いを求めたり宇宙の真実を聞きにいく人たちは、日本人の昔から持っているイタコのメッセージの風習を無意識に皆、DNAに持ち、現代のチャネラーと呼ばれる人に求めている気がします。

イタコに求めるもの、それはメッセージがウソか、本当か、といった、白か黒かでは無いのです。イタコに求めたものは「願い」という純粋なものです。しかし、現代の人がチャネラーと呼ばれる人に求めるものは、依存であって、昔の人がイタコに求めた「願い」とは違います。でも、見えないものがわかる人への依存、ということでは共通していているのかもしれません。

セミナーという言葉に違和感を感じませんか?この「セミナー」という無機質で事務的な言葉によって、「学び」といった学習を連想させ、受ければ賢くなるよ、と誘導する。宇宙からのメッセージ、であるから、セミナーに行けば時代の先駆者と思われるので、選ばれた自分なのだ、といった意識をくすぐる。

10人から15人、またはもっと集団でチャネラーの言葉を聞く、といった状況は正しいのでしょうか?自分はこれに関しても、嫌悪感があります。もちろん、話すことが多次元からのチャネリングによるメッセージ、ではなく、「個人の哲学」であったなら、高い知識の方の話、として何も問題は無いと思います。どんな方法をとっても、すべては、そのチャネリングが本物で、操られていなければ、なにも問題はないのです。

イタコに願いを託すような思い、その本来の「願い」といった美しく、純粋な心、の部分が欠落した、ちまたにあふれるセミナーと呼ぶ高額な現在のチャネリング行為、それこそが、スピリチュアル人が嫌がっている「低い波動」そのものである。と、感じる自分です。

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「下北ナビ」から画像を拝借いたしました。

 

 

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6)実際に解決できる能力

もし、本物のチャネラーであったならば、「心の癒し」などといった、単なる「アドバイス」ではなく、もっと大きく、もっと広く、人類のことまでを含めて「実際に解決できる能力」があってしかるべきではないのか?と思っています。

この「アドバイス」と「実際に解決できる能力」は、それこそ天と地の違いがあります。

「実際に解決できる能力」といったのは「病を治すことができる」ということです。

たとえば「あなたの前世は〇〇ですので・・・」では、単なる興味本位にしか映りません。「メッセージを受けられる」ということだけ、では真贋を疑われてもしょうがない気がしますし、それだけでセミナーを開く度胸もすごいと思います。需要があるからでしょうか?残念です。

ある本によると、高次元の存在からチャネリングする人と、魂が輪廻の準備をするためにいる場所(サイキック界と呼ぶらしい・人間界のすぐそば。これがイタコが受信する場所だと思います。)からのチャネリングと、かなり違うらしい。だから、おなじようなメッセージの受信とはいえ、そのレベルは幼稚園と博士との差があると言ってもいいということです。しかし、受信する人には、その差はわからないと思います。

 

7)言葉

用語には偏見とイメージがどんなものにも付きます。とくにこういった話をする場合はあります。精神世界、アセンション、宇宙意識、次元、波動、悟り、神、輪廻(カルマ)、チャクラ、マントラ、・・・いろんなものがあります。自分は、あまりこういう言葉を書いたり、使ったりするのは好きじゃありません。何ででしょう?自分でもわかりません。自分が選んで読みたいなと思った本に書いてあったら読むのは別に嫌ではありません。誰かがブログで普通に使ってたりしていると、ちょっと問題があるような、気がしています。これらの言葉の意味は、昔から我々の中に無意識に在って、何か重要なあることやモノを表すもので、だけれどある理由があって言葉では表現してはいけなかったこと。を、「言葉に変換」してしまった・・・ような気がして、自分が普段、使ってはいけない気がする、のかもしれません。こういう言葉は「気持ち悪い」と思う人もいます。自分もその手です。が、その気分の悪さを感じることは正しい、と思います。言葉自体が悪い、と言っているのでは決してなく、気持ち悪いということは、あまり表立って使用するものではない、という意識の反応だと思います。言葉にしてはいけないもの、つまり、感じることだけで止めないといけなかったもの、という意味です。

 

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8)感、それは哲学

別の考えかたもあります。それは「感」です。
上記のチャネラーのように、いまの自分も何かに操られてる可能性もありうる・・・。その場合、なるべく冷静になって「感」を信じるというのも、正しい選択だと思います。自分の場合、ある「本」が信憑性をもって感じられた、というの経験があります。しかし、具体的な事実が書いてあるわけでもなく、これはあくまで自分が感じたか、感じなかったか、によるものですので、「真実」かどうか?は、自分だけの判断で、自由です。

真実が他にあるのではないか?真実を知りたい、と思ったならば、セミナーや癒しなどへ依存するのではなく、自分ひとりの行動だけで探すこと、これが間違わない自分の哲学、であるのです。間違ってしまってもいいんです。自分がすぐ考えを変えれば済むことですから。

他に依存しない。助けを求めない。「自己で完結する」。これが、いちばん健全であると考えます。

 

bearpond.hatenablog.com

 

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