ろくろく人生レポート

東京おとこひとり 改め:66才からの人生探求レポート

ちょっとまて、ここはセレブの街じゃない。

久しぶりにモスバーガー。プチリバウンドの予感・・・

今日は午後2時ぐらいにジムに行ったが、やはりこの時間帯はジジィとババァがほとんどで、テンションが上がらない。・・いや、人のせいにしちゃいけなのだが、ほとんどリハビリセンターのような面々が多く、どうしても視界に入るので気になってしまう。そういう自分も、もうすぐ59歳なのだが、こう言っては何だが、自分の59歳とジムに来てる(たぶん)62、3歳は、年の差はほとんどないのに、どう比べても自分のほうが若い。もしかして60代に見える70歳台なのだろうか?(ありえる)。優越感に浸ってるのではない。同じ男として、そいつらを見てると情けないのである。なぜなら、全く筋肉がなくちょこちょこしか歩けない自分と同じぐらいの男性とか(病気の後遺症のせいかもしれないが)、絶対に奥さんからいやがられてるだろうなぁ、と思える、化粧台の前で着替えを散らかして、うまく着れないのか下着のままワーとかウーとかうなってる男とか、白いグンゼの(たぶん)パンツをへその上まで思いっきり上げて急所が飛び出しそうに履いてる男とか、、、そういう人らを見ると、あー汚い、臭っ!って女子高生の気持ちが良くわかる。そういった汚い男達は自分にはわからない人種だが、それで良いと思ってるから人がとやかく言うこともないし、しょうがないのだ・・・。きっと65歳まで会社人間として仕事だけで働きがんばったのだ。でも、気がついたら体に筋肉はなく、株などにしか興味がなく、「美」というものにはまったく無関心であった成れの果て・・・と勝手に判断する。人間、は、中身である。。というが、だらしない行為は内面の現れである。「中身のだらしなさが外見に反映する」のだ。・・ちょいと言い過ぎかもしれないけど、あーカッコいい!という年上の男はどこにいるのだろうか?60、70代でカッコいいってのはありえないのかー?

ロッカールームで一人の男が、(たぶん60代中盤)内線電話でスタッフに「シャワールームでハゲの男が体操してるんだよー、通行の邪魔なんで注意してくれよ」と話してるのが聞こえた。シャワーブースは両側にあって真ん中が通路、幅が1メートルぐらい。そこで体操してたら確かに邪魔だろう。が、その男はしょっちゅう、体操してるらしい。自分だったら「ここはほぼ老人ホーム状態のジム。だからしょうがない。」と無視するだろうが、しかし、迷惑というか、メンドクサイ奴をあげればきりがない。ジムじゃなくてもどこでも探せば数えきれないほど人迷惑な行為はあるが、自分たちもまた、同様に、自分が正しいと思ってても不条理な怒りを買うことがある。顔が気に食わないとか、しょっちゅう咳しててうるさいとか、この世の中はイライラと不満が人々の生きるエネルギーと化している。悪いものは良いものより勢いよく感染してゆく。

木を見て森を見ず・・・というが、もっと大きく考えると、自分の行ってるジムは、セレブでも何でもない雑多な古いジム。ガキのプール教室がうるさいし、通路にウェアをセールで売ってたり、休憩室でおかし広げて食って大声で話すおばはん連中とか、シャワールームで体操するジーさんや、散らかし放題で着替えるジーさんがはびこる、そう、そういう人たちが住む当たり前の場所柄なのだ。良く言えば平民の下町の気さくな場所で、上野の銭湯に通づるものがある。だから人が問題なのではない、「場所」が原因なのだ。シャワールームで体操するジジィが嫌だったら、もっと高い金を出してセレブが集まる高級スポーツジムに行くしかない。つまり、「金」の問題だ。人への不満は正義感とかルールとかが気になって起こる感情だが、自分が正しいと思い相手を正そうと思っても、いったいそれが何になるというのだろうか?延々と終わりのない不満が続くだけなのだ。だから、だらしない人やゴミを散らかす連中や騒音を出す連中や、今にも倒れそうな汚い老人や、大声で笑うおばさんや、そういう連中に不満なら、生活苦の無い場所、見栄を大事にする場所へ行くしかない。金を出してそういう連中が来ない場所で遊べば良いのだ。そういうところだったら、いっぱい文句言っても、良いと思うが、こんどは逆に自分が文句言われちゃったりして。

モスをかぶりつく。