おとこひとり

59才おとこ・筋トレ・服・デザイン・時代・哲学

同じ服がたくさんある風景の疑問

 

早い夕方、PARCOへ散歩に出かけた。浅草にいたころは、散歩も楽しかったが・・・で、今日は洋服を見にいく。バーゲンをしている。ウールのダッフルが¥9,500と安い。タグを見る。made in chinaである。カシミア混のコートが¥10,000である。タグを見る。ベトナム製である。この店は全部アジア工場産である。どこの店に行っても服はmade in アジア である。そのカシミア混のコートは手触りが今一である。ふわーっと柔らかく軽い感じではない。見た目も粗い。だから¥10,000はバーゲンでも高いと思った。良い素材で良い仕上げの服は、どこか、何か違う輝きを発しているものである。

ユニクロなどをブラブラしてて、ふっと思った。同じ色、カタチのダウンジャケットがこれでもかとハンガーや天井まである棚に並んでいる。洋服的に、ではなくビジュアル的に、色やカタチがそろって統一感があって騒がしい感じではなく意地悪な感じはない、と思った。だが、それがなんの意味があるのだろうか?ここは服売り場である。なにかのギャラリーか現代アートかではあるまいに。たまにくる(買わないで見るだけ)ユニクロではあるが何かが変だと感じた。同じカタチの同じ色の服をたくさん並べること自体を優先した陳列は、一瞬、目を引くが、コンセプチュアルアートでもないし、この量の多さ、これだけの同じ服の「量産」は、こわい。何が怖いかって、これだけ同じ服を買って着る人がいる、という怖さ。売り場の統一感、デザイン性、ポスターのモデル、スタイリングのセンス、これに惑わされて売り場から発する違和感に気がつかなかったが、今日、売り場を歩いていて変な気分になった。

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匿名性の強い服。個性を除いた服。同じものがたくさんある風景は、まるで一時の、エコノミックアニマルと言われた日本人そのものだ。みんなと同じだと安心するのだ。

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いくらなんでも、こりゃーやり過ぎだろう・・・?何にも個性の無い服が量だけを得意として主張する光景。良くいえばSF映画によく出てくる宇宙船の中にある宇宙服がハンガーかかっている風景に似ている。

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これは怖い。が逆に、これだけ同じ服を着た人間が電車に乗っていたら、笑ってしまうか、恐怖だ。同じ服をたくさん作る。それもインナーではなくアウターだ。さらに色見本のように並べる。気が付かないのだろうか?この「様式」の画一化のもたらす弊害。つまり、混沌とした中から自分の気に入ったものを見つけるといった個々の個性的な行為が失われつつある。個性が無いことへの安心感。「服なんか安くて使い捨てよ。シマムラかユニクロでいいの」と我が姉は言うけれど、自分が目指しているのは、あまり出回ってなく、シンプルで素材とカタチや縫製などすべてが一流である服を探すこと、そして大事に着続けること。なのである。だから原産国、素材の調達の場所、製作の国、ブランドなどなど、そんなことをいちいち気にするのである。

服は、寒さ熱さをしのげればいい。裸で歩くわけにはいかないだけ。などといったことを言う人がいたら、その人とは一緒に居れないだろう。パンツが汚そうだからである。テレビ通販のQVCを毎日、づーっとみ続ける。観てるというより番組がBGMである。民放のようなコマーシャルがないのも良い。QVCショップチャンネルのようにキャスターが早口で売り切れることをせかせ、電撃攻撃のようにしゃべる倒すようなことはなく、穏やかで優しく商品説明をしているので、ただ番組を流していても心地よい。そのQVCの番組で、岡田可愛さんの服、というより彼女の番組が好きである。彼女の男勝りでさっぱりした下町っぽい「人生話し」が面白いのである。モダンでカジュアルな服のデザインも好きだ。商品説明からずれてそういった話しになるのも楽しい。服は女性ものだがこだわったデザイン、素材などの説明を聞くのも好きだ。彼女と木村さんという男性とのKikkiというブランドも好きだ。服以外にもその男性のおしゃべりが好きなのだ。録画してビデオをかけっぱなしにして、ほかの仕事をする。番組は2回目からは心地よいBGMになるのだ。Kikkiの木村さんは自分と同じ年齢でオシャレなので好きだ。

岡田可愛さんが言うには、「年齢とともにいろんなものに力を借りている。若い時は何も必要はないけれど年齢がいったら服やジュエリーなどの力を借りて自分を輝かすのだ」と。なるほどと思う。とても具体的で好きだ。服にはそういった役目もあるのだ。

qvc.jp