ろくろく人生レポート

東京おとこひとり 改め:66才からの人生探求レポート

素」のデザインが好きな理由は、物が飽和状態になっていることへの反動

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ブログデザイン、変えました。

文字が見にくいので・・・

 

きょうの服

   馬柄プリント半袖Tシャツ

   革ヒモ&ハートペンダント

   ブルージーンズ

   レザーサンダル       All HERMES

 

 

 

日本のデザインの今、という話 します。

きっかけは、知り合いの会社が「おにぎり」の新しい売り出し方をプロデュースして売り出すためにウェブを立ち上げて、そのウェブがいい感じなので見てくれ、と、言われて見たときのこと。

そのウェブのデザインは、白背景でアイコンだけカラーの画像が目立つ、わかりやすく言うと無印良品のサイトのように禁欲的な感じであった。

良く言うと清潔感があってミニマムで装飾を削ぎ落とした感じである。

ウェブに限らず、こういった控えめなデザインが今、日本的なデザインとされてるのである。よく見るタイプのデザインである。決して悪くはない。むしろいい感じ、という人がほとんどではないだろうか。

 

こういったスタイルは、商品で言うとボディーケア商品のメーカー「マークスandウェブ」に見られるように、主張しない禁欲的なものが日本人は好きな傾向があり、このスタイルで物を作っていれば、それなりの物、可もなく不可もないものが出来上がるわけである。

ここまでは、今のデザインの主流を説明したに過ぎないが、

 

では本題に入るが、

それは、わかりやすく企業名を出すと、ユニクロ無印良品、スープストックトウキョウ、雑誌では、ku:nel 、これら一般的な今のスタイルに対して、これらを好きな世代が異常なほど多いと言う事実である。いや、ほんとうに多いのである。

ウェブデザインや商品デザインも、作り手がミニマムなスタイル(シンプルなデザイン)で作り上げるのは、そういったものが好きな人口が多いためである。そのスタイルが今の日本のデザインの方向として「良いものだ」と、なってしまっている。

ではなぜ、そういった無味乾燥としたミニマムなモノが好きなのだろうか?

(ミニマムなものを、自分は無個性、無感情、禁欲的と捉えています)

 

ずいぶん前に聞いた話しだが、

アフリカ人が日本に泊まることになった時、

日本人が用意した部屋は、無塗装の白木の木材を使った壁や床の部屋で、日本人だったら木の自然な感じがすてきネ、と誰もが思う、そんな部屋であった。

しかし、アフリカ人は言った。

「なんで倉庫のような貧相な部屋に泊まらせられたのだろうか・・?」と。

「木材を塗装無しで使うなんて、ありえない」・・・と言ったのだ。

ここで重要な点は、文化の違いではなく、

日本人が「素」が「気持ち良いと思わざる得ない」、理由である。

その理由は、

日本には物が多すぎる。

物が豊か過ぎる。からである。

つまり、

「素」が好きな理由、シンプルで削ぎ落とされた無感情なデザインやモノが好きな理由は、物が身の回りで飽和状態になっていることへの反動、だと思うのである。

だから、白木を汚れ止めぐらいで深い色に塗装しない流行は、塗装と言う時間的な手間からくる「重荷」を受け入れないで済む方法であり、ファッションもミニマムなものを買ったり、コーディネイトする理由は、クローゼットに大量にある服に対する恐怖から逃れ、バランスをとるために、シンプルにならざるおえないのである。

この「素」のスタイルはデザインに限ったここではないが、自分は、このスタイルの浸透は「退化」ではないか、と思っている。

ミニマムに、「素」に行くというのは、感情を必要とせず重荷を良しとせず、出来上がったものは一見、シンプルで洗練されたように見えるが、実は人間が作成する必要のない人工的なものであり、ようするに退化である。

 

物質の豊かさの反動が今のデザインに反映されて、それを良しとする傾向は、この先に進歩するとは思えないし新鮮な驚きも発見も何もない。

デザインが人工になっていく今、それに気づいた人が何を造るかが楽しみだ。