おとこひとり

59才おとこ・筋トレ・服・デザイン・時代・哲学

善人が死ぬ。

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松本清張ゼロの焦点広末涼子主演 映画より

 

子供に教育しないといけないと思っていたり、人より正義感が強かったり、人は生まれつき悪い人はいないんだと思っていたり、そう思う善人が悪いことに巻き込まれる。

加害者は高速道路で因縁をつけ、家族四人のうち両親二人がトラックによる衝突事故で亡くなったというニュースを聞いた。パーキングで出口に止まっている加害者の車を注意したことによる逆恨みである。今の日本ではどんな場所でもそういうことになる可能性がある。被害者はまったく悪くない。ひどい事件である。

皆の迷惑になるから他人の迷惑行為を注意するという行為、それは「生善説」と思っているから何のちゅちょなく注意できるのである。人は生まれつきわかり合えるものだ、と思ってるから怖いことなく注意できる。これだけ日々犯罪が行われているのに、普通に見えてる人間でも知らない人間がどんだけ「悪」を持ってるかわからないのに、今回の事件のように、なんで家族持を引き連れた人がまったく知らない人間に注意し、かかわり合いを持ってしまったのだろうか? 電車で体が触れただけでキレる人間がいるというのに、子供の手前なのか? 家族を率いてるせいの道徳観の表現なのか? 知らない相手に関わりを持つということは非常に危険だ。なんでもない普通の場所で、電車の中で、すれ違いの道で、いたるところに人の不満とわがままと悪が満ちていると思わないと、被害にあうのは時間の問題である。

「災い」に自分から飛び込むことに、なんの意味があるのだろうか?

「さわらぬ神に祟りなし」ということわざは、とても良い教訓であると言える。例として、関係のない墓石に手をあわせる一見やさしい人がいたとして、しかし、拝んでしまったが故に、その人はその他人の墓の先祖に関わる悪いものすべての因縁をしょってしまうことになるわけで、やさしい人ではなく、ただ物事を知らんバカな人である、といえるように、自分の安易なやさしさは自分だけでなく家族、愛する人、すべてに連鎖的に迷惑がかかるということを知らないといけない。 関わって良いものと、関わってはいけないものがはっきりとしているのを知らないといけない。

こう言えるのも60年近く生きてきたからこそであるが、しかし、臆病に生きて行くのもどうか、と思うので、他人と十分な距離を置き、おせっかいや道徳や正義感や注意などいっさいせず、自分と自分の愛する者だけがいつも安全でいられるか考えて、知らない他人との関わりをさけることである。仕事上の上司とのかかわり合いも同様だと言える。若いうちはそこでがんばらずに辞めることを進める。そういう場所にいると安定した給料の変わりに将来ある自分自身が腐ってしまうから。こんなふうに思っていても、人とかかわり合うことはさけられないために、このくらい極端に関わらないと思っていて、ちょうど良いのである。

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もと娼婦が主人公の夫をつき落とすシーン

 

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最後のシーン