きのうも大雨で、近所の花火大会も中止になったようだ。
・・・ようだ、というのは5:30開催の時間に大きな花火の音がしなかったからである。1年に1度のことが無くなってしまう、というのは悲しいだろう。七夕の日に出逢うはずの乙姫も彦星も来年まで逢えない、ということだから。
人間って言うのは、かなりの頻度で勘違いする生き物だと思った。
思い込みの恋愛、酒が強いと思ってる、スキルがあると思い込んでる、正しい生き方だと思っている、誰かが悪口を言っていると思っている、皆から嫌われている、など、自分だけがそうだと信じているわけで、そういう思いは日を追って必ず、必ずエスカレートしてゆく。
阿部首相の言葉じゃないが、周囲の人が支持すると人は必ず「謙虚」で無くなってゆく。 それによって生まれた「絶対の自信」というものは、自分の中の思い込みであって、場所が変われば何も役に立たないもの、空想に近いものであって、ほぼ思い込みである。
恋愛も、歓喜も、現実のように思えるけれど、自分が作り出した頭の中の小さな箱の中のモノ達である。こういうのはバーチャルの世界とかアバターとかいろいろ言うけれど、そういうのはよくわからないが、今起こってることがウソだと言ってるのじゃなく、「楽しいから同じようにまた楽しみたい!」という気持が「こうあったら良いなと言う幻想」を生み出すのだと。何で前みたいに楽しくないのだろう?とった経験は皆、したことがあると思うが、その欲求がエスカレートする火種だ。
同じものを求めても もう無いのだ。
芸術家、音楽家や小説家、創造をする人は必ずスランプが来る。まったく次のステージへ行けない現象。
自分も絵を描くが、これと同じように描きたいとか次はもっと、とか思っても、前に良く描けた絵はもう過ぎたことであって、もう二度と同じ達成感は来ないのである。
人間の細胞は常に新しいものへと生まれ変わっていくと聞いた。
肌は若い人で28日間、年寄りでは45日程度、体の細胞はよくわからないが死滅しては新しく生まれるものだとしたら、同じように見えてもすべて生まれ変わっているわけだから、今以前のことは忘れて、常に新しい自分でいるように意識する、これが「謙虚」ということではないだろうか?