ろくろく人生レポート

東京おとこひとり 改め:66才からの人生探求レポート

365日 悪人は悪人

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いつも行くバーのマスターがよその店にご挨拶に呑みに行くというのでおつきあいしてきました。言ったことのない店の雰囲気は若く騒ぐ客が多く大人の雰囲気ではないので落ち着かなかった。つまんないのでカラオケを3、4曲歌って時間をつぶした。40代というのはやはりバカ騒ぎが好きなんだな。

 

話変わって

人とはできるなら仲良くしたい。仲良く呑んで、仲良く話して、仲良く仕事して。しかし、とかくこの世は自分勝手な人、迷惑を考えない人、悪人がいるのがあたりまえの世界。道を歩いてても皆同じように見えて同じじゃない。突然キレて暴力を振るう若者がいる。普通に見えて殺人者だったりする。普通に見えてヤクザだったりする。

もともと人間は皆良い人だから・・・などと、バカなこと言ってる人もいるが、身内や愛する人が殺されたりだまされたりした場合にそんな偽善的なことが言ってられるか、です。

法律的に罪の重さが違うからといって「悪」の程度が変わることはおかしいことである。なぜなら、被害を受けた人の感情は、司法の罪の重さとはリンクしない。どんな些細な被害でも最大の「悪」だと思う人がいておかしくないのです。個人の感情で判断すれば、被害を受けた人にとっての被害度は、ちょっとした迷惑も、ルール違反も、詐欺も、殺人も、同等なのです。

自分の場合は「歩きスマホ」が2番目の「悪」です。昔の記事にも書いたが、迷惑を考えず自分だけ良ければいいという思考の「歩きスマホ」はそれをしている人の人格がたまたま通信末端というツールのおかげで表に出ただけの事なのです。つまり、もともと、その人間が持っていた「徳」のない人格が表面化しただけのことで、それはイコール、実は日本にはどれだけの「徳」のない人間が多かったか、ということがわかるのです。しかし1番の「悪」は自分の上司です。さんざんこのブログで書いてきた事なので省略しますが、コイツが1番の「悪」です。

どこまでが悪人でどこまでが許せるものか、そんな程度など関係なく、精神的にも肉体的にも物理的にも被害を受けたと思ったら、その相手を自分は「悪人」または「悪」とひとくくりにします。 悪人は悪人という人種なのです。時々善人だったり、時々普通だったりと、そう見えるだけで365日悪人は悪人なのです。

その「悪」は、年齢、性別関係なく、誰の中にも存在する。

もちろん自分の中にも存在する。

その「悪」をどうやって外に出さないようにするか、

どうやって自分を律するか、ができる人が、

「悪じゃない人」=「徳のある人」と考る。

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