ろくろく人生レポート

東京おとこひとり 改め:66才からの人生探求レポート

人をバカにして楽しむという感情を作ってしまうコンプレックスを武器だと勘違いしているお笑い芸人達

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お笑いを見ようと思わなくなって、かなりの年月が経つ。

当時、往年の漫才師を見ても「クスッ」っとする程度であったし、とくにお笑いが嫌いなわけじゃないのに、お笑い芸人って、なんであんなに笑えない人ばかりなのだろう?と思う。変な顔、バカな態度、大きな声、女装に派手な衣装、そんな小細工ばかりで本当の「芸」の域で笑わせてはくれない。若い芸人は学校の放課後に皆の前でやるレベルをいつまでも超えないしプロだとは思えないつまらなさだ。

お笑い女芸人は、ブスとデブがひとつの笑いネタだと思っている。

ブスでデブあれば皆、笑うと思っている。しかし自分はまったく、一切、おかしいともクスッともしない。なぜか? ブスは顔形じゃなく心がブスだから外見がブスなだけで、その外見は笑う要素など、どこにもない。デブも、それ以上に笑う要素は無い。普通の主婦でデブでブスな女性が居たとする、しかし、その女性は気が利いてやさしくて暖かい普通の人だったら? そこに中傷やさげすむ笑いが起こるだろうか? 笑うことなどありえない。しかし、ただ外見がブスでデブの女が自分のコンプレックスを武器と勘違いしてお笑の世界に入ることは、それを見る一般大衆に誹謗中傷やいじめや人をバカにして笑うと言う、必要のない負の感情を新たに生むことにもなり、外見をネタにする事はすべてのことにおいてタブーであって欲しいと思っている。何でも「笑い」があれば許されて良いことなのだ、というのは疑問である

もう亡くなったがイギリスの芸人、Mr.ビーンは、唯一笑えた。いや、笑えたというのは正確ではない。この人の見事な「職人芸」に感動して結果、いい気分になったのである。このおじさんの変な顔、変な行動だけでは笑うことはできない。綿密に計算された芸がすばらしいから顔が緩むのであって、ただの変なおじさんで笑うことはない。

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ブスやデブが さらに変なカッコや化粧をして気持悪くして、ただそれだけで「笑い」を取ろうとするのはどこか間違っていると思う。こう言うと頭のお固いジジイの発言のようだが、ブスやデブが芸もせずにただアホずらしてるだけで済ます芸人も芸人だが、皆(一般人)は本当にこれを気持よく笑っているのだろうか? 芸人という職業でブスやデブがそのままの姿をもっとひどくして、「ひで〜!ブス!ハハハ!」と笑いを取ろうとしているのだから本人は笑われても差別にはならず。自分の醜さを明るく振る舞うことで、「こんな私でも求められてるんだ!」って訴えてるのだろうか?

人をあざけりバカにして笑うと言うことは非常に罪であるが、それがお笑いであると許されるのである。何度も言うが、本人は良いかもしれないが外見のコンプレックスを笑いのネタにするということは、人をバカにして笑うと言う状況が許されるのだという間違ったルールを、人がもともと持っている「人をバカにして楽しむ」という感情を発生させ、演芸の中ではなく一般の社会の中に新たに作ってしまうことになるのだ。

現代の笑いは、あざけりバカにし醜い姿を笑いバカをバカにし、ただそれだけなのだ。ファンもお笑い芸人もいったいそれをどう考えているのだろうか? いや、たぶんそんな深く考えていない。ただ自分はブスでデブだから、人からバカにされみっともないって笑われてなんぼの世界だし、技なんてないし、そんなお笑いでいいんじゃない?自分って?って思っていると思う。不勉強で軽い気持だと思う。

何の技も無い醜さを売りにする芸人達を見るのは忍びない。