やめたほうがいい、いらない、何の意味がある?と思う行為(イベント)と特定の職業、その人、商品、を下記に書くことにする。
もはやただの成り行きで無意識にやってるだけで本来の意味もなく偽のブームや逆効果のものたち。ただのミーハーの極みであるものたち。
「恵方巻き」
こんなもの流行らせないほうが良い。あんなセンスのない巻物を一気に食うという下品でバカ丸出しの決まりを作り縁起が良いと虚偽、なのになぜ人は群がるのだろうか?子供が学校で話題にしてるから親がやらざるをえないのか?やってる人も売る業者も節操がない。売れなくて商品の廃棄が今問題になっているくらいすぐに終了させるべきブーム。
「バレンタインDay のチョコレート配り&ホワイトDay」
もう、いいでしょ?やめたら? いくつもらったとか、ミーハーの極地。それにもう古いでしょ、このイベント。絶対しないという潔い女子があらわれることを祈る。誰かがやめれば時間かかっても終結に向かう。
「ハローウィン」
渋谷ではただの仮装見せたがり集団。迷惑以外の何ものでもない。家から仮装で出かけ帰る人がいるが、非常にみじめである。日本にはまったく関係ない習慣。やりたいなら「欽ちゃんの仮装大賞」にでも出れば良いのだ。
「初詣」
普段はいっさい神社仏閣にお参りしない人が新年だけに行くというのはまったく意味がないし、ただの成り行きで行っているなら一度「参りとは?」と、冷静になって考えなおしたほうが良い。1年に一回の初詣で自分の「欲」を願うなど、逆にふざけるな!と神様からいわれるのが落ち。初詣するなら墓参りが良い、と、ある筋のかたは言っている。
「お年玉」
子供は金もらえるからうれしいだろう。しかし、新年に金あげるということに何か疑問を感じる。普段のお小遣いとは違うのだ。親戚、上司、そういう親がそれらの子供に金を配る。そうしないと立場上の問題が起こる。もう、面倒以外の何ものでもない。
「成人式」
これ、意味あるんですか?と聞きたい。行政が祝いを主催するってのも意味わからないし、それに、その日に誰もがジャスト20才の誕生日じゃないのだから、それぞれが自分の20才の誕生日に親しい人に祝ってもらえばいいんじゃないのか? それよりも、20才になるということは「少年A」ではなくなるということを知らしめる会であればいいと思うが、楽しいイベントと勘違いしているからやっても意味がない。だいたいが国で成人式の日など作ることがおかしい。まだ地方では20にもなって意識が低くバカ騒ぎで調教されていない犬のように迷惑をかける奴らがいる訳だから。
「「ボジョレーヌーボー解禁」
クダらない、実にくだらん。ワイン通という者達のいけすかない行事。ファッショナブルなイメージにしすぎて鼻につく。
「運動会」
小・中学校と、これがあるためにどれだけの運動が嫌いな子が嫌な思いをしているか、わからないのか? この会により、すべての子にカッコいい子、スポーツできる子、どんくさい子、といった烙印が押されることになる。運動会など終戦後の遺物です。競争に順位を付けない、などということもやってるようだが、そんなことするなら、そもそもの運動会自体をやめたほうが良い。刑務所では運動会が行なわれてるそうだが、それはただのガス抜きであるから、それにはノーコメントとする。
「火葬場で骨を骨壺に入れる行為」
これをやったことある人、いると思うが、いったい、なんの意味があるのだろうか? 長い箸で2人一組で骨を取り上げて骨壺に入れる。これにより普段、「二つの箸で挟んで持ってはいけない!」といわれる由縁であるが、火葬して出てきた遺骨を見るのもキツいが、いくら親しい方の遺骨であってもそれを箸で壷に入れるという行為は、自分が体験したときに思ったことでいえば、逆にそっとしておくべき因縁をしょってしまったような、そんな後悔があった。死んだ人とはいえ、その人の身体の一部を箸で持つなんて嫌である。いったいどんな意味があるのだろうか?
「会社の忘年会」
これは個人的に大いにやめたほういいと思う。自分が社長だったら絶対にやらない。自分の会社がブラックであるからでもあるが、善良な会社でも、オーナー社長以外は誰も楽しいはずがない(楽しむ会ではないのだが)。いや、酒がないただの会議の反省会で締めくくるのであれば納得いくが、わざわざ酒の席をもうけて上司に媚を売って酒をつがないといけない状況であり、飲食と言う仮面をかぶせて気遣いを見ると言う陰険なイベントである。仕事のスキルなどいっさい関係ない苦痛な行為である。
「フジテレビ」
テレビなど好き、嫌い、だけである。しかし、自分はフジはいっさい観ない。一応、報道もある局として社会的に役割はしているだろうが、そのまじめな部分とのギャップで楽しい部分があるなら良いのだが、すべてクロスオーバーしていつでも非常識なバラエティーの出演者が出ていることが問題。演出、出演者、効果において理性も知性も感じず低俗である。くだらないことは頭を柔らかくしてすばらしいことだけど、この局のくだらなさはホッとさせるものではない。この局を観ると無駄遣いしてる気分になる。 20年時以上まえ自分がいた会社に新人社員が入って食事をしたとき、その社員が言った言葉が「自分はNHKよりもフジテレビのようなものを目指したいと思います」と。このころはまだバラエティー感覚が珍しい時代であったのでお固いNHKよりも民放の自由でな新鮮さが彼の生き方につながったのだろう。しかし、時代は変わり人々の感覚はより賢くなっているのである。それがこの局にはまだわかっていない。
「百貨店」
もう、いらないでしょう?百貨店。 目上の大事な人への贈り物と、外商と言われる商売でマダムに宝石を営業すること、北海道物産展やそういった催しぐらいしか利用価値がなく、普通のフロワーで上代で物を買う時代ではない。その理由に、百貨店はすでにただの箱となり、ユニクロ、無印良品などのインショプにしか集客がないのは明白である。銀座の地価の高い場所にある百貨店はただのステイタスに過ぎず、そこで買物をするという目的の場所ではない。
「新品の靴下の留め具」
靴下買うと、値札ではなく、7、8mmぐらいの小さいシルバーの留め具がついてるでしょ? それが上下に2カ所だったり、あれ、とるのすごい面倒。最初に大きい値札をハサミで切って取り燃えるゴミ箱へ、さらに小さいあの留め具を探して取り、燃えないゴミ箱へ、なんて処理をしないといけないのです。なんでたかが靴下にそんなに厳重にするのか?
「Tカードありますか?」
ポイントカードTカード、持ってる主婦たくさんいます。スーパーでコンビニでたくさんポイントがたまるが、それは別に良いと思うが、レジで「Tカードごさいますか?」と聞かれることに答えるのが苦痛。そう思わない? コチラが答えを言わなくて良いように「Tカードございますか?」じゃなく、「Tカードあったらおっしゃってください」ぐらいにしてくれたらうなずきも返答もしないで無言でいられるのに。だいたいいつからこんなことなってしまったのか?Tカードに支配されたレジ。苦痛です。
「消せるボールペン」
使ったことあります。でも、普通のボールペンと一緒にしまっておいて、消してはまずい書類に書くときにこのボールペンを選んでしまったとき、あ!。ヤバい、と思いました。この発明はおもしろいが、消せないからボールペンなのであって、本末転倒である。まぎらわしく危険であるのでいらない。
関係ないが、地下鉄日比谷線の車内でクラシック音楽を流す、というものに先週出会いました。ほとんど、聞こえるか聞こえないかぐらいの音量。ほぼ、聞こえないと言っても良い。しかし、バカ騒ぎの奴らのうるささではその音はまったく意味ないが、高尚な音楽がBGMでかかってるということは、乗客の中でイライラしてる人がいた場合、気がまぎれるので癒しの効果が少しある気がする。