おとこひとり

60才おとこがひとり語るモノコトのいろいろ

他人が介入していないと「自分であること」を認識できなくなる

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いつも行く馴染みのバーには行かず、サラリーマンでにぎわう普通の居酒屋に行った。

常連にしている馴染みのバーは3軒あるが、最近、めんどくさい客がいるので、

いないだろう時間まで時間をつぶしている。

あぁ・・・めんどう、失敗したなぁ、と思う。

誰でも”しつこいヤツ”は嫌いだと思うが、自分、しつこいのは何よりも苦手だ。

しつこいって物理的にも最悪だけど、精神的にしつこいヤツが不気味だ。

何かを期待してるような、なんともいえないオーラをだす。

ねち〜っとした、独特な平坦な感情を感じる。

楽しくしたいなら、自分から楽しくする何かを提案しろ!と言いたい。

何ですべて人に期待するのだ?

「あの人が居るから楽しい」とか思われたら、いい迷惑だ。

こっちはお前なんか居ても全然たのしくないし、おもしろくもない。

こういう構図ががわからない人生の初心者ども。

楽しく話すことと、好き、とは、全然違うのだ。

例えば 偶然となり同士になって、社交辞令で二言三言、歌う歌が似てたりして、年齢が近かったりして、そんな何でもないことを話していると、それだけで気が合ったとかん違いする奴ら。

「君はもてるからね」っていういじけたヤツらも居る。

人に嫌な感じをさせないとか、気を使わせないとか、そういうのには自信があるが、

そういうことさえもできない社会的幼稚なヤツらが「君もてるから」と言うのだ。

こいつらは 人を楽しませることをしない、

人から楽しませてもらうことしかしない、

人に気を使わせるずうずしい奴ら、だと思う。

だんだん、そういう奴らと一緒になるのがおっくうになってくる。

まったく知らない客で賑わう居酒屋が一番楽になってくる。

  

「居場所」がある、というのはとても重要だと思う。

とくに 年とると「自分の居場所」というのが生きる上で元気の源になってくる。

たとえば、毎朝いくモーニングの店、病院の待合室、買物の店、食事の店、

そういった自分がそこに居ても緊張せず、プチ常連の場所、というのが有るのと、無いのでは生きていることの意味が変わってくる。

ただ命を消耗することと命を更新してゆくことは細胞レベルで全然違う。

自分の居場所は、自分の部屋ではない。

自分の部屋は生活するだけの部屋、飯食って洗濯して疲れて寝るただの物理的な部屋。

他人が介入していないと、どういうわけか「自分であること」を認識できなくなり、自分を客観的に判断する材料が何くなり、己を見失ってしまうのだ。

誰かと接触しないでひとりぼっちで生きていると精神に異常を来す。

景色の良い場所や静かな川辺とか、気持のいい場所が自分であることを実感させてくれるのではなく、環境が悪くても生きてる人の息づかいが感じられ、自分が緊張せずわずかな時間であっても居れる場所、それが自分にとって必要な充電場所だ。

ただ、大勢過ぎる場所は孤独を感じる。これでは逆効果である。

程よい人数であり、自分が注目されない場所で、居たり居なかったりが自由に出来る場所、それが自分の居場所。

 

(※画像は、呑み屋である)