おとこひとり

60才おとこがひとり語るモノコトのいろいろ

集団意識の怖さ。そして美徳が失われつつある。

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サッカー放送、 まったく観ません。

どーでもいい、って言うことじゃなく、

あーいう集団で,集団が熱狂するもの、がキライです。

 

ファンのバカ騒ぎ、渋谷のらんちき騒ぎ、選手のオーバーな喜び方、などなど、好きな人にとっては、それが良いんだ、と思うけれど、すべてに狂乱的な怖さを感じます。

大勢の熱でテンションが上がり、暴動やケンカ、そういった一種の集団ヒステリーがおこる。サッカーだけじゃなく、そういった集団で楽しむことで、程度の差こそあれ、無法地帯と化す状況が恐ろしい。

最近、スポーツで、勝つならば何でもやる、と言う風潮が指導者にある気がする。

つまり、「勝つこと」が最終目的で、プロセスはどーでも良い、のだ。

日本人は卑怯な手は使わない。まじめな人種だ。ズルいことはしない。恥の文化がある国民だ。 ・・・・というサムライ魂が、こんかいの試合で失われ、日本人も外国人を失望させた。なぜサムライなどという名前を恥ずかしくもなくつけたのか?

 

スポーツとは人を楽しませるものなのか?自己満足でやるものなのか?就職のためにやってるのか?根性を鍛えるためか?(鍛えられないが)、いったい、スポーツとは何ものなのだ?

なぜ、死ぬか生きるかのように、楽しくなく、必死な形相で、そういった意識でやるのだろうか?前世がスポーツ選手だったから?という意味不明なこと?

集団で何かをやり、それを集団が観る・・・・

集団意識というものがあって、良くも悪くも多人数があつまって同じ目的の意識で何かに集中する場合、そのポテンシャルは高くなり、その場所にエネルギーが生まれるのは立証されている。

人間が恐ろしい生き物と化す状況は、暗い夜道でひとり歩いているときと、集団意識の波が襲ってくるときと、どっちが怖いかといったら、後者である

 

日本人は、プロセスを大事にしてきた。

強いか、弱いか、それ大事だ、という教育はおそろしい。

 

「人生は勝ち負けじゃない。問題にどう対処するか、が大事なのだ

と、先人からおそわってきたことが「美徳」であったはずなのだが・・・