宜保さんの首に映ってる白い影はテレビ画面を撮影したときのiPadのリンゴのマークです。
なつかしいコメンテーターの方々。
今から約23年前、
当時は心霊番組が多く、
その主人公である宜保愛子さんの番組が
多くのチャンネルで放送されていた。
もちろん、自分はリアルで観ていた。
「霊能者」と言う、一見、いかがわしさを、
普通の主婦である宜保愛子さんが、払拭したといってよい。
いま、YouTubeで、あらためて観ている。
なぜか?
思い出したように観たくなった。
たくさんビデオのなかで、彼女の理路整然とした語りは、
非常に好感と信頼を感じる。
この時代以降、テレビに出てきた霊能者を名乗る人は、
いっさい偽物だろうと、感じるくらい、この方は別物である。
後半は、心ない人間が、ひぼう中傷で、彼女を傷付けたようだが、
当時も今も、番組を作るテレビ局側に大きな問題があると思う。
つまり、こういう未知の世界を
「ミステリー」とか、
「謎の」とか、
「驚異の!」とか、
視聴率のために、おぞましい雰囲気にもってゆく、
さらに、不穏で暗いBGMを付けたり、
血のりのような暗く陰湿な文字を使ったり、
テレビ制作者達の、未熟な頭で、そういうオーバーで興味本位の「やらせ」にはしらせた結果が、彼女へのひぼう中傷をあおった、と思っている。
こういうものは、「信じるか?」「信じないか?」
ではなく、
「ある」と思うか? 思わないか?
であると思う。
だから、 「無い」と思う人は、それで いいわけである。
「ある」と、押しつける理由は いっさいないわけだから。
あるか、無いかで、議論する意味も、必要性も、ない。
しかし、
これだけは言える。
人は、死んだあと、 すべてを理解する。
己の死後に、
すべての謎が わかる。
だから、
生きているときに、
見えないものを学習しておかないと、
自分の死後に、
おろおろと、おたおたと、
自分が死んだことも理解できずに、
「死」の意味がわからず、
生きていた時のことが忘れられずに、
いつまでも、おたおたとする死後を 歩むのである。