おとこひとり

61才おとこがひとり語るモノコトのいろいろ

知的レベルの低い地球人

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アスリート達の体の比較  だそう。

筋肉の付き方の差。

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ここ最近 スポーツ選手の不祥事が 表に出始めた。

暴言をはく、不条理なことを言う、殴るなど、そういう人タチはスポーツ界に限らずブラック企業にもまったく同じ人たちがいる。

自分のフラストレーション(欲求不満)を解消するために、他人をいじめる最低の人たち。

たまたま、スポーツ界で告発する人たちが出てきただけで、

どこにもこういう否人間はいる。

権力を持ったヤツがこういう性格の場合、悲惨な状況になる。

誰も反発できない、悲惨な現場である。

ここまでくると、そういうブラックな人間というのは、

必要悪

ではないか?と思う。

「必要悪」などと、「悪」を認めたようで嫌な言葉だが、「闇」がないと「光」が無いように、「悪」がないと「善」は存在しない、のではないか?という理屈が成り立つ。

北朝鮮自体が、中国とのアメリカの、かんしょう剤であることと同じで、

「悪」は何らかの存在理由があるのではないか?

 

この世がすべて「善」である世界になるということは、

そうなったときには、もう「善」の意味華くなる。

比較する「悪」がないわけだから。

 

 

暴力でフラストレーションを解消する人間が、まだいると言うことは、

数百年、数千年以上経たないと、

知的生命体になれないような気がする。

またその逆で、人間は悪いほうに退化する可能性もある。

 

宇宙人(エイリアン)が地球人の前に姿を現さないのは、(いるとすれば)

地球の人間の知性が、まだ、恐ろしく原始的である(暴力的・理性が無い)から、姿を見せる時点ではないと判断しているからだと思う。

 

古代ローマグラディエーター達は実際に殺し合ったように、

現代のボクシングや格闘技など、直接に人を克服させる競技は、

「ルールのある暴力」である。

それを観るのが好きな人がいる。

何でだろう? 

スポーツだから殴り合っても、ねじ伏せても、いいのか?

いくら個人的憎しみが、そこに存在しないとは言え、

「人をねじ伏せ克服させる」ことの意味は、いった何だろうか。

相手に勝利したあと、征服した、という感情が無いわけは無い。

そこから、支配欲は生まれないのか?

そこから暴君が育つ芽が生まれないのか?

 

スポーツの目的が「相手を倒す」というものなら、

個人的憎しみの無い暴力・フラストレーションの発散・征服欲を生む野蛮な行為、と思っている。

(これに関して意見が人それぞれであると承知しています)