おとこひとり

61才おとこがひとり語るモノコトのいろいろ

何かを競うことに何の意味があるのだろうか? と思う

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何かに熱狂的に夢中になる人、

熱狂的な観衆。

デカい声、奇声、ハイテンション。

フーリガンと言う暴動が好きな奴らもでてくる。

呑み屋でのいさかいも生まれる。

旧時代的で野蛮である。

 

誰も、

「スポーツは人間形成にならない。」
「さわやかなイメージなど幻想」
「精神たんれんになどにはならない」
「スポーツは賭博と同じ」


・・とは、言わない。

 

あまりにスポーツは好感度高いため、

誰もが「スポーツは良いものだ」と思っている。


スポーツの批判なんてしてたら、変なヤツだと思われる。

もちろん、こんなことはいっさい言わないで、

人といるときは、すました顔でテレビを観る。

スポーツやってる人、番組が好きな人が、あまりに多いため、

自ずから地雷を踏むことはない。 が・・・

 

何かを競うこと、に、
何の意味があるのだろうか?

と、

思う。

 

この考えなど、誰にも理解されない。

 

誰よりも早く走ったから、それが何になるのだろうか?

「人類最速の男!」ということの、何がすごいのか?

それを言うなら、

参加してない人の中に、もっと早い人がいるかもしれないじゃない。

それより、早く走れたから、何がすごいのか?

文句を言ってるのではなく、

自分にはまったく、わからない心理なのである。

将棋が好きだったら、ただ将棋を指していればいいんじゃないのか?

そこに、順位を付けることは、何なのか?

学校の試験、順位、競争、これの意味は?

あたりまえの今の世界の法則であるが、意味がわからない。

 

人間の能力の優劣を楽しむ、とか、順位をつける、とか、

そもそも、この人間の能力には、個体差があるのはあたり前だから、

それを競うことに意味があるのか?

練習をして、ひとより強くなったら、それで何になるのか?

自己満足なのか?

優越感をもちたいのか?

すごいと言われたいだけなのか?

 


ケーブルテレビの設定で、工事の人が最後にCSが映るか確認をして、自分に確認を問うた。何も言わずにその人は、野球チャンネル、スポーツチャンネル、そういうのばっかり映している。

自分が何も反応しないのをみて、

 

「いつもどんなもの観るのですか?」

というから、


「映画とか?ですかね」


「あーそうなんですか。スポーツ好きそうに見えましたが」

だと。

 

そうなんです。
見た目と中味は、まったくちがうのです。

それより、皆、スポーツが好きだと思ってる人があまりに多いということが、なんとも寂しい世界である。

 

 

話戻して


体を動かすことがキライじゃないのに、

何でスポーツが嫌いなのか?

 

スポーツが嫌いなわけ

を分析した。

 

結果、


勝つとか、
負けるとか、
強い弱いかとか、
順位とか

 

自分は「勝敗」に対しての嫌悪感が、異常に強い、

と言うこと。


勝敗を決めるというランキング主義は、しだいにエスカレートし、勝者は優越感をもち敗者になることに恐怖を感じ、敗者は憎しみに似た感情をもち始める。

勝敗を決めることの先には、悪いことしか想像できない。

勝敗を決めることは、野蛮な行為としか思えない。

 

(運動と、スポーツはちがう。スポーツは勝敗が常に付く)

 

勝ったことでよろこぶのは、人間としてもあたりまえの感情・・・?

負けたことで悔しがるのは、人間としてもあたりまえの感情・・・?

これはいったい、何の意味がある感情?

 

「スポーツは精神たんれんに重要だ」、と言うのは後づけの詭弁。

スポーツマンはさわやかだ!というのも既成概念。

ただ、上下関係に縛られているだけ。

就職して上からの命令にYESスマンであるから、体育系は好まれるというだけ。

激しい運動にはたえられても、皆、精神的に弱い。

それは、体はきたえても精神をきたえていないから。

創造力を鍛えてないから。

ガマンしていることを”精神を鍛えてる”と、かんちがいしている。