おとこひとり

60才おとこがひとり語るモノコトのいろいろ

想像力のある人は、いつか人として堕落することになるだろうと、権力を未然に放棄する。

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体操協会の、あの夫婦は、ふたりとも71才。

告発した体操の女子は18才。

53年も、はれているのです。

53年です・・・これだけでも、おそろしい。。

 

ジイさん、バアさんをいたわりましょう!

などという言葉は、このふたりにはまったく必要なく思う。

53年も差があって、さらに、今となっては「志」がずれた年寄りと、若くこれから先のある人とが、同じ価値観で会話なんて成立するわけが無い。

誰もが感じているだろうが、大人で地位のある者のズルさが、立場も道徳観もちがう両者の対比によって、鮮やかに浮き彫りになってしまった。

 

歴史上、権力の座についたり、何らかの役職を手に入れた者達=独裁者達は、民衆の反感をかい、正義を訴えるべく、民衆によって葬り去られるのが常である。

どの会社にも、上司であったり、社長であったり、地位があるのに尊敬されないものたちが、ひとりや、ふたり、もっとたくさん、いる。

地位を手に入れると人はズルくなる。
または、ずるい人は地位を手に入れやすい、とも言える。

では、地位のある人が、すべてずるいか?というと、確率で言うと、ずるい人が多いだろうと簡単に想像できる。

地位が高くなったら、イコール、尊敬される人であるか?
というのは、もう大昔の幻想である。
なんとなく地位が上がって、役職が上がってラッキー!・・などということはありえない。何かの裏工作と人を排除する行為、意図があって動かなければ、社会的地位が上がることはありえない。

 

そんな世の中で、

”偉くなりたくない人”

は、いる。

 

なぜか?
その理由は

 

才能があって、常識人で、人からの人望があり、いつでも偉くなれそうな条件があっても、

人を支配する立場に立つことは、いつか人として堕落することになるだろう(人は弱い生き物だから)と、未然に思うことで、放棄するのである。

 

若いときに、何らかの才能がひいでて、優越感にひたり、もてはやされ、ごうまんになり、幼い頃に必要な、人の傷みや道徳観を実感せずに、人を支配する地位にあがると、暴君と化すのである。

こういう構図は、子供のときに道徳観を勉強せずにスポーツしかやってこなかった「運動バカ」が、50、60、70才になったとき、思考力が運動のことしか無いため、善悪の判断がゆるく、保身に走り、人を説得する言葉も、感動させる言葉も持ちあわせず、深い洞察力も、教養もないまま、ペラッペラの中味で、ただ、ズルく生きるだけ、という人になってしまうである。

 


理想とする世界、

それは「権力」と「宗教」のない世界である。

 

この両者とも、何かにたよって、
何かにすがって、団体で考える環境である。
個(個人)としての存在が薄く、団体で安心したり、人を支配する環境を保持したりして、その中での常識が、自分だけの常識となって、外の世界の善悪との差がひらき、個々とのつながりは無く、所属する大きな固まりでしか自分の存在を認識できない人間になる。 それは人として、とても不自然で、まるで流れの無い、にごった河のようで、そんなところからは、あたらしいものも、感動も、美しものも、何も生まれない、不毛の人生なのだ。