きょう(正確にはきのう)この絵のような男性が前を歩いていた。
風体は、160cmぐらいの小柄、30〜40才ぐらいか、真っ黒でややクセのある髪に、メガネで、毛深いのか、Tシャツから出た腕のあたりに毛が少し見える。流行のオシャレにはまったく関心がない感じで、でも、別に汚いわけではなく、黒の大きめのTシャツと黒のポリエステルっぽいパンツ、このパンツのスソが長くて、スニーカーにかなりだぶついている。ところどころに色あせが目立つパンツは、ずっとお気に入りで、毎日はいている感じである。 見たことがない色と形の布の大きなショルダーバッグを肩から下げていた。正確な歩幅で、真っすぐに、姿勢良く、マイペースで歩いていた。
なぜか、彼にとても魅力を感じてしまった。
なんでか?
人には(自分を含め)少しでもよく見せたい、とか、
少しでも頭良さそうに見せたい、とか、
そういうものがある。
ほとんどの人に、虚栄心(ミエ)がある。
歩道でも、電車でも、バーでも、会社でも、どこでも、「あぁ、なんだかめんどくさそうなヤツ」というひとが多いのが社会であるが、彼には、そういった印象がまったく感じられず、その逆で、いまこの歩道を歩いているまったく他人の人たちの中で、彼だけが虚栄のない世界でいきている、といった(少しオーバーだが)、そういったものを感じたので、しばらく後ろを歩きながら、彼の背中を追っていた。
服や見た目が今風でもカッコいいわけでもない人なんて、たくさんいるし、それに興味を持ったわけではけっしてない。 人が かもし出す「雰囲気」、というもので、何か内面を感じるのである。
女性の場合、こういったカッコの人がいたとしたら、それは問題である。これが、男と女の、ちがいである。 女性は人からよく見られようとすることで活き活きとなり、より美しくなるのだが(人工的に作られたものだとしても)、それは人をいい気持にさせるものだから、どしどしやってほしい。でも、何もしないで人間はナチュラルが正しい、などと言ってる人は、ひとこと、「汚い人」だけで終わってしまうのが、女性の性(さが)なのである。
話もどって、
簡単に言うと、前を歩いていたオシャレに関係ないであろう男性は、この混沌とした社会で、不満に思わず、怒りもせず、わめきもせず、なにかしら達観したような(興味がないような、問題としないような)、そんな感じを受けた。そして人を絶対にバカにしないだろう、と感じたので(勝手に)(思い込みあり)、自分のバカさかげんを少しでもなくしたい気持で、見ていたのだ。
地下の駅に下りる階段、歩道から降りるのにも、人の迷惑にならないようにはじっこを同じ速度で、降りてゆく。
あぁ、男がオシャレに時間をさくなんて、なんて無意味なことだろう・・・