ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

バーチャルであるような実感、ほんとうの自分はどこに?

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世間は、夏休みに入ってしまった。

みな様はいかがお過ごしでしょうか・・・

 

10日から15日まで休み、または18日まで休み、というのが一般の会社の休みでしょうか? サービス業も、最近はけっこう休んじゃうしね。

このあいだ、5月の天皇即位のときには、かなり長くお休みがあったばかりで、そして、また8月に長い夏休みが始まってしまった。

うれしくなさそうな言い方に聞こえるでしょう・・・

そう、ぜんぜん、うれしくも楽しくもありません。

世間の休みは関係ない仕事、生活、です。

レジャー施設とか、もうかる時期だが、コチラとしては普通の店が休みになってしまうので、いつもはすぐに買物できたり、利用できたのが、10日間以上も利用できなくなってしまった。ホントに困る。

 

東京から人が居なくなって、ふだん平日に見かけないような、若い親子連れがたくさん歩いています。

平和・・・。

小さい子供を真ん中に、左に父親、右に母親。

小さな手を左右につないで、時々子供の気遣うように見て、けっして派手でイヤミな風体じゃなく、とても感じのいい彼ら。

あぁ、なんと絵に描いたような、平和で、希望あるすばらしい光景でしょう!

と、ほんとにそう思う。

この見も知らぬ希望ある親子ずれのためには、自分は道をあけ、もっと大きな意味で、彼らが幸せに生きて行くことの役に立つ自分であることが、自分の人生の役割ではないか? と、オーバーだがそう思う。

「彼らこそ人としてのほんとうの人生だ、、」と思うからだ。

 

自分がまったくなりたいとも、理想にも、こんな生き方があるんだと思ってなかった他人の生き方を見て、ほんとに、彼ら親子と自分は、同じ世界に住んでるのだろうか?と、思う。

連休、夏休み、正月。いつもそういう気持になる。

 

この世はバーチャルで出来ている・・・という理論があります。

かなり精巧で緻密で、人の英知を超えた、世界はほんとうは投影された非現実である・・・そういう理論があります。自分の見える範囲の景色やモノゴトを、瞬時に映像化して行くという世界。

前を歩く、幸せそうな親子を見ていると、バーチャルリアリズムであると、ホントにそう思ってしまう。

つまり、どこにも属さない自分がいる。属さないと感じる。

それはとても不安か? ではない。不安ではなく、なぜ同じに感じないのかが気になるだけ。別に自分が特別だ、などと傲慢なことを言ってるのではなく「しっくりピッタリハマる場所」、がどこにもない、と日々、感じる。

トレーニングしてても、ネットしてても、飯食ってても、それをやっている自分に中で、もうひとりの自分が、自分のしていることを見ている、しゃべってる、そういう感じである。もっとわかりやすく例えると、ガンダムのように、外側の本体(自分と思われている人物)を小さいほんとうの自分が操縦している、という感じである。

この暑さのせいで頭がおかしくなってるのだろうか?