おとこひとり

61才おとこがひとり語るモノコトのいろいろ

ゆがんだ母親の愛情表現=細かい文句を言い続けるうっとうしさ

大人になっても、子供の頃の親との「確執」ってのに悩んでる投稿を、よく見ます。

小さいときの親の影響ってのは、トラウマになることが多い。

親と言うのは、神様でもなければ、あたりまえに尊敬される人格であるわけでもなく、ただの未完成の人間である場合が多いので、どんなに愛情があっても、その愛情が曲がってる場合があり、親自体が、まだ人として成長していないのに子供を育ててることで、子供がダメージを受けるのである。

 

モスバーガーでレタスと大豆を固めた肉もどき(ソイ)のバーガー(と言えるのか?)を食っていると、一つテーブルを空けた横に、40代の母親と小学生の親子が座った。

きのう書いた記事のように、母親はチノパンにボーダーのシャツである。

その格好で、もう生活イメージは把握できたのだが、その女(女と呼ぶ)は、子供にずーっとしゃべりっ放し。そして軽い文句を言いっぱなし。文句のようなちょっかいのような、とにかくどーでもいい会話が子供を注意するようなことに終止しているのである。それも早口で。

子供はおとなしい。ほとんどしゃべらず、でも元気そうな感じであるので、顔をちらっと見たら、メガネで、きちんとしたカッコで、なんとも利発そうな、精神年齢が高そうな感じであった。そう、母親にとても気を使っているのが良くわかった。

その男の子をみたら、母親のほうの精神年齢の低さに悲しいものを感じた。

親より子供のほうが精神が大人である場合は、ひじょうに多い。

子供を産んで(女の場合)親になると、女は子供をかまいたくて、面倒を見たくて、やたら口数が多くなるようである。 その口数が多く、子供の小さい動作も見逃さないような母親の精神状態は、自分も小さい頃に感じたことがあった。

それは、非常にうっとうしいものだ、と思い出した。

愛情は感じていたが、それ以上に「うっとおしい」親。

となりの男の子は、中学生以上になったら、ぜったい反抗するだろうな。反抗できなかったら、その反動がどこかに行くだろうな。

ゆがんだ母親の愛情表現=細かい文句を言い続けるうっとうしさ。

これは父親との恋愛が、とうに冷めたあと、どこにその感情を持って行ってわからない女が、自分の生んだ男の子に発散しているのだ。

なんでそこまで言い切るかと言うと、自分も子供の頃にそう感じたからだ。

実に「うっとおしい」と。

 

自分は「親」にはならなかった。し、なりたいとも思わない。なぜ? 親のようになりたいと思わないから? そうかもしれない。

そんなことも考えないでただ結婚し、子供を産んで親になってしまって、子供と一緒に人生を勉強して行こうと生きて、でも、子供にとってみればある意味、そんな親の被害者である。