おとこひとり

61才おとこがひとり語るモノコトのいろいろ

「多数」は「正解」ではない。

ショップチャンネルのカリスマゲスト(と、最近呼ばれている)スタイル・ラヴィーのデザイナー兼代表のHさん。なかなかウェットにとんでるので、プラベートでお茶できたら、おもしろいだろうと想像できる。

 

スタイル・ラヴィーは派手じゃなく、

でも地味でもなく、ちょうど良い加減の服。

そのスタイル・ラヴィーは、夏の間、レース、レース、レース!

レースばっかりの服で、どうしちゃったのでしょう・・・!?

スタイル・ラヴィーは北欧風のプリントや、さわやか系モダン、ってうのか、そういうイメージなんだけど、今期の夏は、なんだか冒険してない感じ。

オバさんレース服は、画面では良い感じでも、顔が地味な女性が着ると、ただのオバさん服になるので注意である。

スタイル・ラヴィーは他のブランドとひと味ちがった縫製とレースデザインを使っているものの、やはり”若い人向けじゃない”=年配向け、をかなり意識してると思う。それはデザイナーHさんの本意ではないと思う。

自分がデザイナーだったら、こんなオバン服は作りたくはないが、売れ筋を考えたら、レースで体のラインが出ない無難な服を作らないとね、って感じでしょう。

でも、しょうがないのかもね。

売れ筋を作らないといけないのは、どこの商売も同じ。

いったい、売れ筋ってなんなのでしょう?

皆がほしがるもの。って、何?

ユニクロのような服のこと?

必需品じゃないのに、機能商品じゃないのに、何でみんなほしがる服を作るの?

皆がほしがって売れてるから安心して買う、ってこと?

売れ筋って、多数で決まったもの? でしょう。

商売では、その「多数」のために考えるのが企業であるが、

大きな意味で、

「多数」は「正解」ではない。

 

企業内で、ものを創造していくとき、これはとてもジレンマである。

たとえば、パーティーのメニューを考える、という仕事の場合、ほぼ、体に悪いものばかりである。糖質の多い、炭水化物が多い、調味料の多い、味の濃い、人工甘味料、着色料を使ったジャンクフード、、、そういう料理をほしがる人が多い。なぜ?

例としては、ソーセージグリル、フライドポテト、天ぷら、寿司などが、その例で、みな、こういうものをほしがる。 寿司はネタは生魚だから関係ないがシャリは米なので糖質だらけ、天ぷらも粉が炭水化物、ソーセージグリルとフライドポテトにおいては、一番と言っていいほどキケンで、高温で揚げてるために酸化物質があり、ソーセージも着色料を使ってるし、ちゃんと成分を考えるとパーティーだからといって、このメニューで良いのだろうか? と、悩んでしまうのである。

 

料理のように、ハッキリ「体を蝕むもの」と証明できる場合は「多数は無知である、もしくは無関心である」といえるが、人の感覚で判断すること、ルールやマナーに関しては、良い悪いは、ハッキリ言い切れない。人それぞれの感覚もあるから。

 

パーティーなどの盛り上がる場所での一般のニーズは、

「健康」ではなく「贅沢」なのである。

多数が好むもの、それはちょっと言い過ぎだが「堕落した食いもの」と言っていいだろう。「飽食」ということ。「贅沢」は確実に体をむしばむ。

 

いったい、パーティーに出席した人で、料理を見て、

「健康に悪いよねーこの料理・・」

と、言う人が何人居るだろうか?

・・・ひとりも居ないだろう。

それは、「多数」が世の中の人口を占めているからだ。

食事ひとつとってみても、多数の意見が繁栄されている。

何度も言うが、

「多数」は「正解」じゃない。

 

気がつかないだろうか?

「良いか悪いか」ではなく、

「多数か多数じゃないか」がモノゴトの判断の基準になっていることに。