おとこひとり

61才おとこがひとり語るモノコトのいろいろ

自分自身を見つけることにファッションは意外と大事

自分に似合う服を探すことは、自分を見つけることに等しく、着たい服を選ぶのとはぜんぜん違うもっと深い意味があります。

この世にただ一人だけの自分のらしさとは? という大事な課題のひとつがファッションです。

服って、その本人にまったく似合ってなかったら、まわりから「だっせ〜」とか「派手ー」とか、「うっとおし〜」とか思われて、知り合いや家族から「ダサいヤツと一緒に歩きたくないわ〜もっと考えれば?」って、そう思われるはずです。

マスコミにおいては、ファッション番組、雑誌、映画など、人を気持よくさせるものにはすべてファッション抜きでは語れません。もし、お気に入りの映画スターの普段着がその人にまったく似合わないカッコしてたら、幻滅しません?

映画の中ではとても良く似合ってるというのは、スタイリストがその人のキャラに似合う服を選んでるから。つまり自分を客観視することだと思うのです。

その人がその場所でそのカッコでばっちり似合ってれば、その人はステキだな、と思うのです。人の目を気にする、ということも含め、自分に似合う服は何かわかればしめたもんで、欲しい服だけど似合わないので買わない。という選択が出来てムダがなくなり、自分らしさが表現でき、良いことずくめ。欲しい服ってのは、たいがい似合わない服じゃありません? そうなのです。欲しい服を選ぶ場合は似合うかどうかを基準にするべきです。人目のため、それ以上に自分のため。

健康や病気を気にして、日々節制し、自分を大事にすることは大切でが、そこにはなぜかファションの大切さが入ってないのが世です。

もし、裸で暮らすのがあたりまえの世の中だったら、何をもって自分としての「らしさ」を出します?(人は自分とは?を知りたい欲求本能がある) もう少しウェストをしぼって・・とか、姿勢を強制して・・・とか、バストをもっと大きく・・・とか、裸があたりまえだったらそいいう風に体を鍛えますよね、きっと。

服もそれと同じで、人は「自分らしさ」を見つけること、「人とはちがう自分」を表現すること、も自分に対しての使命なのです。めんどくさがってると、(ステキでもなくその人らしさも無く)ただ生きているだけの人、になるのです。

たとえば優秀なスタイリストが選んだ服を着せられた場合、絶対にいつも選ばない服がその人に似合ってしまった、といった発見があります。 これを他人目線じゃなく自分で発見するのです。 その感覚をきたえると、仕事でも日常でも、ファッションではなくても、料理とか人と人との相性、人にプレゼントする物を買うとき、そういう、何かと何かの相性が良く合う、といった感覚が鍛えられるのです。 そんなことをわからなくても息をしてれば生きていけますが、それは、ただ生きているだけの人、になるのです。