おとこひとり

61才おとこがひとり語るモノコトのいろいろ

自分が想像したゴッホ

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ゴッホのレプリカ(布に印刷)を集めて7枚になります。

ゴッホと言えば誰もが知っている、教科書にも載っている、そんなイメージがじゃまをして、ほんとうの良さに気がついていない人が多いのではないか?と、思う。

37才と言う短い人生、ゴーギャンとの友情、縁、売れない時代、精神を病む、あまりにメジャーになってしまったゴッホは、絵よりもその人生がクローズアップされる。

彼の多くの絵は、風景、静物、が多く、フランスの田舎で、画板と絵具をもって外に出て、イーゼルを立てて、独り、絵を書いただろうと想像できる。

ゴッホの魅力は、写実的であって写実ではないということ。絵でしか表現できない感覚的な遠近である。写真のように絵を描くことが「いい絵」ではなく、むしろ逆に器用でうまい絵は「つまらない絵」である。当時の彼にとって売れなかった理由は「じょうずに見える絵が描けなかった」ということにある。

ゴッホは非常に感覚的な目で風景、静物を見ているのである。

 

そして、これが今日言いたいことなのだが、もちろん想像である。そして、こんなこと、どーでもいいことである、と、前置きしておくが、

ゴッホはゲイじゃなかっただろうか?と、思うのである。

そう、もちろんどーでもいいことである。

彼のセクシャリティーなど問題にすること自体、不謹慎だが、あえて言いたい。

まず、彼の絵にはヌードがないということ。お金がなくてモデルが雇えなかった、ということも考えられる。しかし、女性のヌードは多くの画家が描くモチーフであり、ノーマルな画家であったら1枚ぐらいあるだろう、と思うのである。もしもゴッホ作のヌードがあったら、それこそビックリであるが。それに今となってはわからないが、恋人が居たと言う話も聞かない。というのは普通、恋人を絵に描くであろうし、ヌードを頼むことも可能だし、モデルを雇うより安いわけだから。

彼がゲイであったのではないか?と、思うのは、俗っぽい男目線の「イヤラシさが微塵も無い」ということ。同時代の友人に、ロートレックがいるが、彼はムーランルージュの踊り子を描いて生活して、でも、それは女が好きだからこそ描ける、というものがあって、踊り子なんて好きでもキライでもない!という画家が女の踊り子を描けるわけがないのである。

そして、なにより彼の絵をとおして、自分が共感するものあがる。ということ。

自分は女性を感じる絵はいっさい興味がない。それは女性が嫌いということではなく、画家の目からみた誇張された女性が口数多く表現されるわけで、「いいだろう!いいだろう!この女、いい女だろう?!」と、訴えてくるのである。その女性を描きたいという画家の意図がキライなのである。極端にいうとノーマルな画家たちは「女性崇拝」的な考えを持つ。とても押し付けがましく、あたりまえにキレイだろう、と言わんばかりに。その精神が絵になった時に、自分には汚らしさ、しか、ない。これはノーマルな人でも、そう感じる人は居るはずである。

ゴッホの絵には そのイヤラシさがいっさい、ない。

何気ない風景。だれも注目してなかった景色。枯れかかった花。ブルー系とイエロー系の絵具を多く使用した絵。

いかがわしくない精神はゲイであることを誰にも告白することが出来ない孤独が苦悩する。これは自分が想像したゴッホである。

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