おとこひとり

62才おとこがひとり語るモノコトのいろいろ

「ステキさ」を捨ててしまう自称ミニマリスト

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こういう部屋が好き。こういう部屋に住みたい。

味覚で言うなら「うま味」のある部屋。とでも言いましょうか?

例えば、ミニマリストと称している人の部屋は、出汁の入って無いみそ汁のようなもの。

ラグやアートや布を、一気にどこかのインテリアショプでに買いに行って集めたような簡単なことじゃなくて、住んでいる住人の一環した趣味で時間をかけて自然に蓄積して出来上がったインテリア、そういうものには、本物感が感じられ、考えては作れない色と素材の出会いが生まれる。それがつまり「ステキさ」なのである。

カラーはとてもむずかしい。同色で構成したら、ごまかしが効くし、失敗感は無い。だけど、いったん色を使いだすと、たいがい下品になるのが落ち。そこがセンスの善し悪しになってくるので、人はミニマリストに逃げる。

頭の中が「株」とか「金」とか「女」とか「六本木」とか、そういうことばっかりが占めている金持ちは、こういう「うま味」の効いたインテリアは考えられないだろう。彼らのインテリアはたぶん、モノトーンでソリッドな感じの家具や空間であろう。

今、主婦がハマってる「ミニマリスト」という主義の考えだと、こういう画像の部屋にはならないだろう・・・がしかし、それはちがう。

こういった一見ムダばっかりある部屋には、その一点一点が重要な要素で必要なモノたちであり、けっしてムダではないのだ。ミニマム=ものが無い、とはちがう。キッチンのナベやツールを少なくして工夫したりと、そういう生活の工夫でムダをなくすことがミニマリズムであって、ただモノを置かない、買わない、がミニマリストではないのだ。

ミニマリスト、と自称している主婦たちの部屋を見てみると、無印良品で揃えたモノたちと、100均に囲まれていることが多い。そして、だいたいが、白とベージュ。白木で終わっている。

ひとつのもので、3の役割をする物を買えば、それは賢く場所も取らずミニマリスト的であろうが、「物を買わない」ことで達成したかのような、体重が1kg減った、とかのダイエットのようなことになってしまっている。

モノは少なくても多くても関係なく生きられる。今、ミニマリストと言っている人たちの行き着く先を考えたことがあるだろうか? モノをへらしてゆくということは理論上、みな同じにならないとおかしい。そこに個人の「らしさ」はあってはいけない。つまり、理論的に、床壁天井があるだけの四角い白い箱になることが最終地点、、である。

そこには、個人のセンスや「らしさ」はまったく無い(あってはいけない)。それに近づくことを一生懸命にやっている、ということは、自分の自分らしさの可能性を壊しているのと同じである、、と思うのはオーバーだろうか?