おとこひとり

62才おとこがひとり語るモノコトのいろいろ

静かなる孤独

CS放送の映画を観ていたら、映画「ビューティフル・デイ(邦題)」というのをやっていた。CS初放送だそうだ。

映画の主人公はホアキン・フェニックス。幼い頃の父親のフェチズムな扱いで男としての自信が無い。年老いた母親の面倒を見ながら、闇を抱えて生きている。彼の仕事は行方不明捜索人、または殺し屋だ。過去、戦争のときのトラウマで自殺願望が在るが、いつも未遂と妄想で終わる。

もうひとつの映画、デンゼル・ワシントンの「イコライザー」は、もとCIAで妻を殺され自分は死んだことに偽装し別の人間として生きている。そして不眠症で毎晩、深夜のレストランで、自前の紅茶パックを1個もって店でお湯をもらって飲みながら、100冊の本を読むのが日課だ。

この2つの映画に共有するのは、どちらも「孤独」で、運命のまま生きているということ。

偶然にも、2つの映画のストーリーには「孤独」な男という以外に、組織や政治家に無理矢理に売春をさせられた少女を救うことに使命=正義を感じる男、が、描かれている。

そう!あのロバート・デニーロの「タクシー・ドライバー」と同じ世界だ。2つの映画は「タクシー・ドライバー」のオマージュではないか?

「タクシー・ドライバー」も売春の少女を救うことで自分の価値を無理矢理に作った。

逃げられない孤独感を埋めるには、何かやらないといけない!と思うのは、人の闇を語る時に普遍のテーマなのだろうか?

「孤独」というのは皆、寂しいとか、暗いとか、という安易なイメージを持つが、「孤独」は誰にも左右させられない、誰の指図も受けない、明日からどこで何をしても大丈夫な「自由」がある。まるで世界が夜のまま止まったような「静かなる孤独」だ。

ただ、ひとりぼっちがイコール孤独か?というと違う。

だいぶ前になるが、大学生のあいだで、ひとりでトイレで食事をする、という者が増えているというニュースがあった。みんなと食事ができない、または仲間を作れないために、テーブルでひとりで食事をする姿を見せたくない、したくない、というのがその理由だそうだ。

誰とも仲良くしないのじゃなく、できない。でも、なかよく(つるんで)していないのは変なヤツ、気持悪いヤツ、そういう風に思われる。人の目が気になるからだ。この場合の孤独は軽薄なものである。ただただ幼稚な想像力しかもたない者がおちいるひとりだけ、であって、尊厳のある孤独とは違う。

「静かなる孤独」が二時間の映画中に漂ってとても気持が良い。

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