ローマ時代、コロシアムでは皇帝○○が殺し合いを好んでグラディエーターが生死を賭けた戦いをやらされていた。人間と人間との殺し合いだ。どちらかが殺され勝負がつくと観衆も立ち上がって歓声の渦になる。そこにはライオンと戦う、という競技もあったそう。殺し合いを楽しむこのゲームの裏方で働いていた労働者の中に、殺し合いで楽しむことに手助けする仕事への罪悪感で悩んではいた人達がいたという。しかし辞めることはできない、辞めることは死を意味していた。そんな環境でも嫌な仕事を続けなければない苦悩。彼らには罪があるのだろうか?黙っていたことは罪のなるのだろうか?というカルマ的問題を取り上げた内容があった。
罪悪感で働いていた人達は生涯どう生きていったのだろう。仕事のことはなるべく考えないようにするか、無理に考えを変えて罪悪感を持たないように努力したのか、そうでないと苦しみで押しつぶされてしまいには自殺しかねないが、自殺はよくない、と思っていたはずだ。自殺するのと、反発して殺されるのとは根本が違うし、むしろ反抗して殺されたほうがいいと思っていたのではないだろうか。
ひとり、立ち話で相談された。どうしても話したそうな目で、「○○さん(自分)、ここはブラック企業ですよ! あの人をやめさせて、辞めたみんな戻しましょうよ…」
こまった… 自分もそう思っている、でも、自分は上司の片腕っぽい立場になっている(ただ長い知り合いというだけなのだが)、自分には意見を言う勇気がない、怖い、しかしどちらが正しいか頭ではなく心ではっきりわかっている。
いままで辞めさせられた人達はコロシアムで殺されたグラディエーター達。裏方で働く罪悪感で悩む労働者は自分。
現代では物理的に殺されはしないが精神的に消すことはできる。
自分の場合、相手から消されるのではなく、こちらから関係を消すのである。自分から関係を絶つ。いままでの罪悪感や苦悩からの解放!しかし相手に痛手を負わせたいとか反省して欲しいとかは、いっさい思わない。そんなことはどうでも良いのだ。問題は自分が解放されること、それが一番重要なことだから。
…つづく