ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

自分にとって肉体は、精神より、ずっと魅力的である

生きてるだけでいいのだ。なんてのは、だめだ。接客業をやったことがある人なら、仕事場の先輩にうるさく指導された経験があるに違いない。喋り方、笑顔の作り方、姿勢、歩き方、ファッションセンス、もう、きりがありませんが、好感を持たれる所作というものがイキイキ生きていくために、これほど大事なものはないな、って思います。感じのいい人、っていうのは、人を幸せにします。感じがいいってのは、非常に難しい訓練がいります。常にフカンで自分を観察できて自分のだらしなさ、自己流の生き方に疑問を持っていないと、人から感じがいいね、とは思われません。 感じのいい人に会ったら、「あぁ、すごく努力してるんだなぁ、偉いなぁ」と思い、その気遣いにほれます。何も努力しないで感じのいい人であるなんて、ありえません。 最終的には人から教わって身につけることではなく自分の感覚をいつも鈍らせないようにして、かつ、自然体でいること。しかし、人に言われないとわからない人がほとんどです。だから、若い時に、接客業をやって客から怒られたり前向きに改善しようとする人などは、どうしたらいい感じに見られるかが直感で分かってくるのです。人間的にいい人になる必要なんて必要ありません。内面が根性悪い性悪女でも、怠惰な生活で太って猫背で毛玉だらけのセーター着て平気で外歩く女より、所作がきちんとしててファションも姿勢も声も所作が人に不快感与えなければ、それでいいのです。

よけいなお世話だと言われそうだが、70代後半ぐらいの夫婦がモスバーガーにたまにくるが、その娘らしき女はたぶん40代中頃、猫背のデブで眼鏡で直毛の毛に、毛糸で編んだ毛玉だらけのベージュのコートにウールのスカート、汚い靴・・・映画のキャラで出てきそうな、お見事なダサいスタイル。夫婦のほうのファッションはいたって普通だか女の肌は汚く、声が汚くうるさい、親父は汚い色の上下でスボンはずる下がり、死神博士のような白髪の髪。 いや、どーでもいいです、関係ない人のことだから。でも、不思議なんです。そういう人たちって人生の楽しみを捨ててる気がするんです。それに、汚らしい感じ、って迷惑じゃないですか?電車で隣に座られるのは嫌でしょ?隣に座るのはキレイな子か、キレイにしてる紳士、淑女がいいに決まってます。 スーパーのレジで後ろに、前に、汚いのが居たらやでしょ? 嫌じゃないのかなぁ、みんな・・・?

レトロ感満載でボロボロで狭く汚らしい食堂ってのが、なんとなく実は美味しそう!という逆説的な理由で入って食べると、全然美味しくなかった。。という失敗した経験を何度もしました。映画のセットのような店、いい感じの看板、ホコリのかぶったガラスケースの中の食品サンプルのメニュー、古くからある路地裏の名店?頑固親父の店? そんな美味しそうワードに魅かれると、とんでもない間違えをする。 見た目のギャップ、ってやつ。人も、店も、外見が汚いと、中身も全部、本当にまずくて汚いのだ。間違いない。

 

こんなカッコでトレーニングしてます。最近のウェアは黒が多くて地味です。夏にはもっと派手になるかも。とにかく、下半身を中心にトレしてます。年とって、よちよち歩きの老人には絶対ならない。姿勢も猫背で前屈みのジジイにはならない。そのための下半身のトレーニングは苦しくて長い道のり。下半身をやってる人、少ない。キツいからだ。だいたいは大胸筋かバーベルやってる。上半身はトレーニングをやった気になれるからだ。対して、ハムストリングのマシーンはキツイ。ダンベル持ってやるヒンズースクワットより、最近はランジといって、12〜15kgを両手にもって踏み出しスクワットでケツの筋肉を鍛えるのに集中してやってます。でも、これも結構キツイ。でもキツいのってナチュラルハイな感じと爽快感ありで非常に楽しい。

 

「自分の体は自分のもの」と、当たり前のことだが、「精神」の入れ物が「体」。だから、からだを健康で丈夫でかっこ良くしないと精神は正しく宿らない。体をいい加減にしてると自分に対して、だらしないことしてるわけで。いっくら頭で勉強したって、体が貧弱じゃあ、何のための肉体をもって生まれたのか、わからんじゃない?肉体おろそかにしてるんだったら肉体、いらないじゃない? 萩尾望都先生のなかでも大好きな漫画「スターレッド」の火星人、星(せい)は、感応能力があり、目は退化しテレパシーでものを見て、実は肉体というものは必要ないわけだが、そういう生き物に進化か退化するのなら、肉体は必要ないだろうが、あくまでSF漫画の世界である。結論は、自分にとって肉体は、精神より、ずっと魅力的である。