少しだけ、んっ? と、思ったことがあった。
自分は、世間の流行(はやり)とか「今」から、大きくはズレてはいない、と自負している。また、どこかの新しい大学の教授のように、「若者文化とは?」とでも言うつもりもまったく無いが、
「えっ? ダサい! 今なんでコレ?」
と思ったことがあった。 別に、演じている人の悪口じゃないが。しかし、
公共の電波で放映するように作ったわけだし、商品からして「カッコいい」というコンセプトで作られたのは間違いないのだが、
自分にはどうしても、「踊りが古い!映像がダサい!音がダサい」と思ってしまった。
なんちゃってソーホーのようなセット美術も中途半端に作り物のセット(ハリボテ感丸出し)っぽいし(自分はかつて20代の頃はCM美術デザイナーであった)。音が、わざとだろうが、昔のハイテンポなテクノポップなのだが、いくら平野ノラが流行ってるとはいえ、パロディでは無いのならそれを今使うのは非常に難しい。
後ろの男二人のファッションが、、、白黒でキメましたー!って感じで、、、ダンサーなら体も良いのだからして衣装無しでヌードにするとか。キャップを反対にかぶってるのもイタい。全体的に韓国のジャニーズ風の出で立ち。彼女はステキなんだから独りで踊れば良かったのに(でも振り付けがなんだかイケイケの大阪っぽい感じする)。彼女の服も撮影のために新たに作った感があってキレイにし過ぎてる・・・。とか。
・・と、いろいろ批判じみたことをかいてしまったが、何を言ってるか?というと、スマートフォンのXperiaのCMである。自分には、このCMが流れるととても恥ずかしくなるのである。
ダンスには特別に興味無いが、センスにはとやかく言える。この手のダンスのNo.1の素晴らしいもの、つまり、あのマイケル・ジャクソンを知ってしまったからだ。テクニックは超えられても芸術性で彼を超える人はいない。 自分のようにダンスにド素人の人間がかつてマイケルに感動した訳は、彼の今までに見たことのないオリジナリティーある革新的な踊りであったわけだ。それ以後、グラミー賞でも、今時の黒人のショーでも、Youtubeでたまたま観るどんなダンスにも、まったく驚きを感じないのは外国のどんな巧いダンサーでも、ダンスはマイケルの亜流でしかないのが現状だからだ。
「芸術」という言葉があまり好きじゃないが、よく考えるとCMは、別に芸術性やオリジナリティーや斬新さなどを求てるわけではないので、おばちゃんのフラダンスの映像と同じだと思えばいいのだ。フラダンスの発表会に芸術性とオリジナリティーがない!などと批判するなんてありえないわけで。
ジャネット・ジャクソンの大マネの安室奈美恵とかも、自覚があるのか無いのか、いつまでもジャネットを引きずってるのは不思議である。美術も音楽も料理もダンスも、だいたいがあこがれの人になりたい!ということでマネから入る。マネが出来て気持ち良くなって、、でもそれからが大変になる。自分のオリジナリティーを作り上げないといけなくなるからだ。非常に苦痛で厳しい道のりになる。才能が無い、、、とあきらめる者がほとんどだ。
マネを堂々とご披露するのは、恥ずかしいことだ。しかし、芸能界はそこまで突き詰めて考えてる訳ではないだろう。そうでなかったら公共の電波で堂々とマネやオリジナリティーの無さを披露するなんて恥ずかしくて出来ない訳だから。
アーティスト系を使用する場合、CMディレクターの知識が重要な点になる。素人をCMに使うというのがXperiaのコンセプトらしいが、スマートフォン、もしくはそのCMは若者への良くも悪くも流行の最先端になってしまう訳だから、CMディレクターのアートシーンの勉強不足と人生経験の無さ、さらに言えば、本人の幼稚さが、自分のようにアートに広くかじっている人間には非常に「スキ」があるな、「未熟」だなと、思うのである。
惜しくして亡くなってしまったが、デザイナーの石岡瑛子さんの説得力のある言葉をいつも思い出す。後年は映画「ドラキュラ」の衣装や舞台美術などで活躍していたが、彼女がいつも思っていること。彼女が創造するにあたって重要に思っていること。それは、
1)誰にもマネできないもの
2)革新的であること
3)時代を超えるデザインであること
アートシーンではとても重要なこと。誰かの作品、そして自分の作品を判断する場合に、この言葉を満たしているだろうか?と、いつも思うのである。