ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

ひとりがいい理由

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2ヶ月ぐらい前に49才の男と友達になった。

(正直言うと友達以上恋人未満である)

酒が好きということもあって気が合った。

その男は胃カメラで胃カイヨウがガン化する気配がある、と医者に言われたそうで、1ヶ月に1回検査すると言う。

まだガンではないが抗がん剤のような薬を処方され口内炎がひどいというので、酒はもちろん禁止で、食事も辛いと言うのでしばらく会えないということだった。

一度、明日メールするねと言って送らなかったときに、「何でメールしなかったの?」と次の日にメールが来たことがあった。自分としては、たわいのない内容のやり取りだし、遅れてもどーってことないと思っていたのだが、ああ、そうなんだ、けっこうな寂しがりやでマメなんだな、と思った。それだったらガンの薬飲んでるなんて心細いんじゃないかと思って、「メールを毎日するからね」と伝えた。

自分、まったくマメなほうでなく、メールの返信も普通2、3日以上あとになってようやく送るようなヤツなので、昔、ある友人から「冷たい!」と言われたことが頭に残っていた。

それで今回は、毎日、おはようだの、おやすみだの、天気とか何でもないような文章を送っていたが、仕事で疲れてメール送れなかったことがあったときに、「毎日はたいへんだからお互いに気が向いたときに送るようにしましょう。」といった返事が来た。

なんとも、情けなくなった。

そうだ、そんなに毎日じゃストーカーのようだし相手も嫌になるだろう。ラインだったらスタンプで終わることも、携帯メールだったからよけいに迷惑だったのだろう。実に恥ずかしい。

俺は年上だし、甘えてくれてもいい、と、思っていたが、相手は冷静だった。

丁度いい加減、というのがよくわからない。

ほっとくと「冷たい」と言われ、マメだと「気が向いたときに」といわれ、つまりは、そういうことを気にするということ、人に振り回されてる自分の無さ、堂々としてない自分が、みじめだと思った。

何かを人のためにしてやってるんだ、といった、いい気になっていたことに気がついて、自分を恥じた。

自分にこういう面があることにもビックリしたが、やはりこのトシになると友人というものはよっぽど気が合わないとむずかしいわけだし、そこに自分らしさが無い対応は、自分がかわいそうで、やめたほうが良いと思った。ひとりが気楽というのはこういうことからきている。

自分らしく生きる、と、よく聞くが、「自分らしさ」を問題視する理由は、楽に生きるためには、自分らしく生きることだ、と何かから言われてきたためだと思う。人を気にしないで生きることが「自分らしさ」なのだろうか?

他人が関係しているからこそ「自分らしさ」が問題になるのであって、自分だけの世界で「らしさ」なんて問題にしても問題にならない。他人がそこにあるからこそ「自分らしさ」が気になり、問題にするのだ。だったらどうしたら「自分らしく」なれるのか?

人のことを気にしないで生きることが楽で自分らしく生きることなのか?

そうではない。 微妙に違う。

これは59年の人生で言えること、

「期待しないこと」だと、断言できる。

自分らしく生きること = 期待しないこと

俺は二ヶ月前にあった男に期待したのです。良い人だと思われたい、もっと好きになってほしい、などなど、そういう期待は誰でもあると思うけど、それは意外に人間関係を悪くする原因になるのです。期待しない人間ばまりになったらどうなるの?などということは現実にありえないから心配はない。

人にも会社にも、「気にしない」のではなく、何も「期待」せずフラットな気持ちでいることが、自分が一番自然な精神状態でいられるのではないでしょうか。「期待」しなかったら、不満もがっかりも失恋も後悔も何も無い。それでも人として生きられます。そうなったら漂白された自分の「素」が現れると思います。それが自分らしさの表現だと思います。