ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

日本の歌は歌詞の行間を歌う

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歌は大好きだ。 聞くより、歌うほうが好きだ。

素人で、カラオケで、酒場で、いいね!って思った人あまりいない。

とくに、アイドルと呼ばれるヘタなガキの歌手の歌を聴かされて呑む酒はまずい。

百恵だ淳子だ明菜だ静香だと、もういいかげしろよそこのGay達。

スピードだ堀ちえみだのウィンクだのと、

そんな歌聞かされて酒がうまいわけないだろ!

日本の男は幼稚すぎる。 

そうなのだ。

酒場で酒を飲む、ということはまず、酒に合う曲でなければならない。

TPOが問題である。

コンサートでストレス発散するときに聞く曲と

酒場のカウンターで一日の疲れを癒すときに聞く曲じゃ、違うだろう。

酒が好きじゃない男に限ってアイドル好きだし、

TPO関係なくアイドルや幼稚な歌をうたう。

 

「うたごころ」というものが ある人と、ない人がいる。

音程があってるとか 声量もあるとか、そういうのは関係なくて、

「何か良いよね、」っていうのが「うたごころ」だと思う。

その「うたごころ」っというのは、生まれもった才能だと思う。

 

「うたごころ」には「声」の良さ、も含まれる。

「声」の魅力も もって生まれた才能である。

もしかして、声がすべてといっても良いくらい、

歌手にとって一番の大事な魅力かもしれない。

 

 

「行間を読む」と言う言葉がある。

意味は、文章には直接表現されていない筆者の真意をくみとる、ということだ。

同じように歌の世界で 「歌詞の行間を歌う」というのもある。

 

ある有名な作曲家が言っていた。

 

ちあきなおみ”は歌詞の行間を歌うことが出来る数少ない歌手のひとりだ、と。

 

まさに、うたの心を歌える歌手である。

彼女は曲に合わせて歌詞を歌っているのではなく、短い歌詞のなかに要約された以外の伝えたいことをも歌っている、だから、彼女の発した声の中に言葉以外の情景が含まれており、映像に変換されて一瞬にして頭に広がり、感情が揺らされるのだ。

 

以前に呑み屋でカラオケを歌っていたら、

○○ちゃん(自分)は歌詞が大事な曲が好きなのね?!って言われて、ビックリしたことがあった。

「・・逆に歌詞が大事じゃない曲とは何のことだろうか?」と思った。

しかし、すぐその意味がわかった。

彼らの言う曲は「歌詞の行間」など無く、曲に合わせた文字を歌うだけのただのリズムでありただのキャッチコピーであり、ノリを大事にするだけの歌だ。

桜田順子やピンンクレディーなどは、そういったキャッチーな曲である。しかし、その昔のアイドルでも作詞家はあの阿久悠であるが、彼女らの歌の内容に重要な意味はない。その理由は、彼女らがまともな内容の歌を歌えたか?というと、歌えない。そのためにしかたなくああいった曲が生まれたと言ってもいいと思う。

歌詞が「言い過ぎる」と、歌の行間どころか行間さえも入る隙間の無い詰め込み過ぎの歌になる。今のバンド、グループに多い文字の多い口数の多い歌詞の曲だ。

俳句のように、イメージできることは言わない、同じ意味の言葉は使わない、多くの言葉を連呼しない、そういう曲が聞く人の想像力をくすぐり、良い曲につながる。もちろん歌手の力量で、良い歌になったり、ひどい歌になったりするが。

 

これらの特徴は日本だけのことかもしれない。

日本語だから、行間という発想があるのだと思う。英語の歌に行間を歌う、、といった内面的なことがはたしてありえるのだろうか?と思う。もちろん映像は浮かぶが、それはその文章のままの場所や行為の映像であり、そのままズバリであってまったく違ったイメージでは浮かばない。

英語の表現はストレートである。何と言っても、まず最初に言いたいことを言って最後に誰が?とかいう文法であるから、最後に言いたいことをもってくる日本語の歌詞とは違う。

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