きのう書いた「弟の夫」を観た感想などとリンクするが、
自分はいちおう、Gay というジャンルに入るわけだが、よく耳にするLGTBの主張について書く。(※レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、の略)以下、すべてをひっくるめてGayとする。
LGBTとかで近年、自分たちは普通の人間で差別するのはいけない!などと盛んに主張したりイベントをしているが言ってることが少しずれていると思っている。
彼らのやってるイベントに関しては、ただ騒ぎたいだけのクラブの延長だと誰もがわかっている。派手好きで目立ちたいだけの遊び。ただのお祭りである。
それでも情報の少ない地域のGayたちにはイベントはニュース性があるし、悩み解消のきっかけになるかもしれない。
我々のセクシァリティーは変態で気持ち悪いと言われ、それが今の時代の正義であり、これから後何百年〜も変わらないだろう。オカマやゲイやそんなのの露出度が多くなってもしょせん相容れないモノ同士が生きている世界である。
堂々と男と女で全てが回っている人達が大多数いる。
内緒に同性同士で全てが回っている人達がいる。
ただ、それが現実で、ただそれだけのこと。
人の許容量には限界がありノーマルの人がGayを理解するアプリケーションは存在していない。理解してると言ってる人達もじっさいはわかっていない。ただ「差別」は悪いものだ、ということは理性でわかっている。でもセクシャリティーに関しての理解はその本人達でないとわかりえない。
常識あるノーマルな人達は、
「自分たちは偏見や差別などといった野蛮な思考をしない理性的な人間でありたいからGayたちを理解したいと思っている」
ちょっと意地悪なみかただが、ゲイに賛同する人たちの心の中はこれでいい。
Gayたちへの疑問は、
手を繋いで歩きたいから主張すのか?
差別に対する正義感から?
皆平等の理想の世界のため?
嘘をつきたくないから?
正直に生きたいから?
人は皆良い人で同じ人間だと思っている?
男女の世界と同性同士の違いはセックスの違いが一番だと考える人は多いが、ノーマルと言われる人間と見た目は同じ人間だが自分たち(Gay)はそもそも細胞レベルからまったく違う人間だと思った方がいい。だからといって特別ではなく優位でもない。花の種類が違うようなものである。
(ちなみに、自分はノーマルな人達と一緒になりたいとか理解して欲しいとかは思わない。逆に自分は人と違うので特別ですばらしいと思うしそんな自分が大好きである。しかし自分が一番だと思うことと人をバカにすることとはまったく違う。常に謙虚でいることが必要であり、自分を攻めないことと自分自身を好きになって大事することで健全で冷静な思考が保てている)
あるGayたちは「私達は同じ人間だー、差別反対!」って言っているけど、そもそもノーマルたちと同じ人間じゃないから変な主張である。
差別はまた違う問題で、ただ「差別する人間がいるだけ」であり、Gayだのノーマルだのといった差別は存在しない。
一番の問題は「差別する人間がいること」で被害にあうGayだが、Gayに限らずに「差別する者が異常」であって「彼らこそが差別されるべき人間」である。
しかし、そんな過激な差別者も、差別される側も、すべて100年経ったら当事者たちは死んでいなくなる。今生きてる時間も死んでしまったら遠い過去。なにも問題視しないでケセラセラに生きたものだけが幸せを感じるのだろう、と思う。
<自分の考えのまとめ>
1)花の種類が違うようノーマルとGayはDNAレベルで別の種類の生き物
2)差別する人間だけが差別されるべき人間である