ハラスメントはデリケートな問題である。
どんなハラスメントでも共通するのは、
「権力のある」「立場が上」の者による嫌がらせであること。
自分より弱い人からの嫌がらせは、まず存在しない。
あるとすれば昔の少女漫画にあったような人気者のバレエシューズに画びょうをいれるような、そんな嫌がらせ。
でも、これは嫉妬と呼ぶ。嫉妬による嫌がらせと現代のハラスメントとは違う。
立場上の人からの嫌な行為が問題なのである。
日本は「立場」の国である。
外国には「立場」というものは存在しない。それは外資系のように急に社長が交代したりフランクに名前で呼び合うような状況で「その人の置かれた状況」など何の効力も無い、つまり実力世界だからである。日本はまだ年功序列であるから「立場」というものが存在するのである。
セクシャルハラスメントで野党の議員がアメリカの「#metoo」運動になぞらえて抗議した画像があった。
抗議の良い悪いはどーでも良いのだが、こういうアメリカと同じことを恥も無くやってしまうところに、センスが無い。
同じ黒い服で同じプラカード、「そうそう!アメリカであったのと同じようにしましょう!」と言う発想だろうか?同じであることに何も誰も疑問を持たないことが問題。それにアメリカの女優達は本人がセクハラを受けていたからこそ、黒い服でプラカードでという発想を持ったのに対し、日本の議員はセクハラを受けた本人ではなく、普通の抗議であるから、なおさら表面だけのマネで説得力が無い。
こういうことはアートでもクリエイティブでもなさそうに見えるが、実はオリジナリティがあって非常にクリエイティブな発想がないと観るほうに説得力がないのだ。つまり、「マネ」じゃない?!で半分以上、損をしているのだ。
日本はオリジナリティーを重要視しない。マネが得意な人種で、マネて本家を上回ることもしばしばである。技術は高いがクリエイティブ制が無い人種である。
同じプラカードで同じ服装が恥ずかしいことと思わない人達がいることは悲しいしみっともない。
同じことがもっとある。
「日本アカデミー賞」
これは、 かなり恥ずかしい・・・と思うのは自分だけだろうか?
なにもアメリカのアカデミー賞と同じ名前をつけてやることないじゃない。
本当のアカデミー賞と何か関係がある? なわけないし、ただのマネ。 こういうセンスの無い恥を知らないネーミングや行為は会社の立場の上の人が決定する場合が多い。
いったい誰も何も意見しないところが、年功序列の規則でありすべて立場の上の人の問題だ。つまり、ハラスメントは会社の立場が上で創造性(クリエイティブ性)の無いジジイ達が生きてる限り終わらないのだ。若いからって創造性があるとは限らない、が、いかにオリジナルが重要か?を知っている人なら、同じ意見を持っているだろう。