ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

たった150年で進化した「今」も、もう終わる。

日本人って、今は田舎に行っても、ファッショナブル。

ふつうにユニクロとかスタバとか、できちゃってるし。

国民総生産、とかいう生活レベルも高くなり、言葉も上品になって、服装も、食事も、建物も、みんな近代的になったけれど、

↓ 江戸時代の後期から明治には、まだこんな生活であるのにおどろく。

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江戸時代↑

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明治時代↑

江戸時代の終了は1867年、

およそ150年前である。

ひいバアさんの時代である。

人生100年と言われる今、たった150年前である。

150年たっただけで、見た目はまるでちがう。

・・が、

「見た目」は変ったが、人の意識は変っていない。そのわけは、例えば、お役所仕事(公務員)の仕事のズルさは後進国と一緒だし、都市開発しても、災害で浸水すれば、予想外、ということで処理し、つまり、場当たり的なことを進化とかんちがいしているにすぎない。

近代的な街並とファッションで、高度文明だと思い込んでいるわけだ。人たちの原始的でルーズで、無責任な思考は江戸時代から変っていない。

 

人の意識(無責任・言い逃れ・ウソ・支配・犯罪)が、技術とリンクしない。

 

あと100年以上たつと、今以上に、何が変るのだろうか?

A.I. が次の進化(技術のみの)が変化のきかっけとなるだろう。

大きく変わる場所の境界線を引くとしたら、コンピュータが発明された今と、以前ということであるから、A.I. の進化によって、人間は恐ろしい方向へと進化してゆく。それが次の100年だ。

しかし、いくら技術が進化しても、人の意識は原人のままであるから、とある国の独裁者や、ほんぽうな大統領や、汚職、暴力、貧困、それを理由に精神の未発達の人々がまだまだたくさんいる世界で、A.I. が進化することで良い方向に行くのか、多々疑問である。