おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

刑事コロンボの好きなわけ:深掘り

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刑事コロンボ」ファン、の自分ですが(この画像は後半のコロンボ、だいぶ年とってますが)、この独特なキャラクター以外に、なぜ、観ててイヤな感じがないのか??、やっとわかりました。

全部で69話あるドラマは、だいぶ昔の時代に製作されたドラマであるから、コンピューターも出初めだったりまだ無かったり、ファックスがかなり珍しいものとして描かれていたり、後半の数話は画面の対比がワイドであるが、それ以前はかなり正方形に使い画面であったり、携帯電話なんか一切出てこない時代で終わっているので、それもすごく好きだ。

そして、この風采の上がらない汚らしい格好をセレブからバカにされる、その光景は、逆に、(見た目のキレイさや金をひけらかすセレブたちの何と中味の無いことか!)と、言っているわけで、このドラマでこういったシーンが必ず出てくる意味、それは、よれよれのコートの風采のあがらない男との対比で、上流社会の虚飾にあふれた何とこっけいなことか!が、クローズアップされるのが目的である。

また、この男がドラマの主人公でありながら、まわりの人々や建物や家宅があまりに堂々とした風格と、本物感があるため、その背景の中と人々とをよけて現れる、よれよれのコートで徘徊する主人公が、本当に場違いな脇役に見えてくるのである。だから、キラキラ輝くスターではなく描かれた主人公(ドラマの中でだけだが)との距離と、自分が近くなって、感情移入が出入るのだ。

いつ観てもこのドラマが安心して観れる、一番の理由は、

猟奇的な殺人=不条理殺人や、血が飛び散るような残酷なシーンや、そういった現代ではあたりまえに映像化されている過激なシーンがいっさい無い、ということだ。

これは、現代において、大変重要なことである。

殺人者を追う刑事の物語であるとともに、日本で言うと「松本清張」の描き方とかなりよく似ていて、無意味な殺人や快楽殺人などではない、意味のある殺人、、というと語弊があるが、普段ちゃんとした人が過ちを犯す、そういう心理ドラマなのだ。

CGで作ったウソの映像や血しぶきや残酷な過激な映像が一切無い、これがこのドラマの重要な点であり好きな理由である。