東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

選挙場や「投票立会人」の役割が文化的に遅れている日本

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夏の日差しが来るまで、あと一週間・・・

みなさん 選挙はいきましたか?

選挙場にいる人、手伝ってる人、を「投票立会人」って言うそうな。

彼らは各自治体の「選挙管理委員会」に選ばれた一般市民、だそう。

もちろんマニュアルがあると思うが、変なヤツが入ってこないか?キケンは無いか?っていうのを、注意深く、投票する人を見てる気がする。

ガラーンとした体育館のなか、事務的なテーブルにそろった「投票立会人」。

今日の投票の時に、「投票立会人」とは誰とも目は合わさなかったが、自分のほうを注意深く見ている気がした。意識過剰・・・というのじゃなく、感じたのは確かだ。

立会人や、あの会場の雰囲気、けっしてほめられた感じではない。

雰囲気なんかいらない、そんなこと考えたことも無いし必要ない、という人がほとんどだと思うが、「投票立会人」に監視されているような会場のレイアウトが、「選挙をするという国民の権利」を、あからさまな監視体制で行われていると言う雰囲気にしてることが、今の時代に、合っていない気がする。

政治家が映像やファッションのプロを使ってPRする時代、しかし、いざ投票という最終地点になると、だいたいは学校の体育館などのやたら天井が高い場所で、むなしい空虚感と、役所に行ったような味気のない感覚がおそってくる。

人の記憶は、行った場所、に集中される。

もっと雰囲気に気うべきである。

お金を使わなくても、例えばテーブルや氏名を書くブースの直線的な配置はやめて、円形に、流線型に動線を作るとか、、あんな広いスペースで隅っこで行うことをやめて、全体のスペースを使うとか、レイアウトで今より良い雰囲気に出来る可能性がるだろう。その結果、選挙場に行く若い人が増えると思う。

事務的なことや目に見えることにだけで良しとしている人が企業や役所には多い。

人々の気持を動かすのは、無意識内の「感覚」である。この「感覚」を大事にしない人や組織が多すぎる。