「すごい人だね」とは言わないようにしている。
メディアで伝えられる「すごい人」というのは、マスメディアが誇張してそれらしく演出してるものがほとんど。それに同調して人は「すごい」と錯覚する。
NHKのプロフェショナルもまた、それ。
ある専門の分野で、その人はすごい人かもしれない。
それだったら、一般会社の事務だって、
その分野ではすごいものを持っている人だっている。
前に見たが、電卓を異常な速さ、正確さで打つ女性。
ギネス記録っぽくて華やかではないが十分にプロフェショナルである。
電卓ではノーベル賞はとれないが、ノーベル賞をとった学者たちが「偉い」?とか「すごい」?とか、単純に決めてしまっていいものかと、思う。
少しの頭の出来は違うだろうが、ただ単に盲目的に人に対して「すごい人」と言ってしまうのは、自分自身を卑下してることに等しい、と思うのである。
無意識に差別を自分自身で作っているのだ。
何かに秀でている人、はたくさんいるし、そういうほかの人だって何かに秀でてるモノは必ずあって、何も無い人なんていない。ただ違うのは、マスコミや世間がもてはやすか?持ち上げるか?社会にたいしての貢献度が高いか?である。いいかえれば「すごい人」などいないのである。皆すごい人なのだから。
だからといってマスコミが騒ぐ「すごい人」を否定はしない。そうじゃなくて人はマスコミのオーバーな演出に影響されていないか?と、疑うことを考えてほしい。
人のことを素直に「すごい」と言えないのは、プライドがじゃまするのではなく、人の業績に対して「すごい」と言う格差的な言い方((思いかた)ではなく、
「自分には出来ないことをやれる人なんだね」で、いいと思う。
これはただの言葉の違いじゃなく、考え方が違う結果、出た言葉である。
理屈っぽいが、「すごいね、この人」と誰かが言うたびに、
いつも(そうじゃないでしょ、、、)と、思う。