世は連休、ということです。
でも ピンときません。きっと、天気のせいだと思うのです。
こんなに湿気が多くて、くもってて、
いつ雨がふるかわからないお休みじゃ、楽しくない。
とはいえ、子供がたくさん遊んでいる街を歩くと、これが人の「幸せの風景」だと、思うのです。そう思うと、ぎゃーぎゃーとうるさい子供も騒音じゃなく心地良い生活音に聞こえます。
普通に、ふつうに、普通ってのが一番むずかしいのだけれど、特別じゃない中くらいの人生が一番の幸せ。で、中くらいにするのがいちばんむずかしい。
話変わって、
テレビ観てたら、パフィームの3人娘の真ん中の子が言うに、「髪をオレンジ色に染めて、それが伸びて生え際が黒くなって、そういうのにあこがれる〜!」だと。
この感覚、美意識の違いっていう次元じゃない。染めた髪のその生え際から黒髪が見えるなんて、「汚い&だらしない」以外に、自分は考えられない。
こういう感覚って、たとえば一般人だからこそ出来る状態(髪を手入れしないだらしなさ)がうらやましい、という芸能人の気持で、普通の人がやってることをやりたい!っていうことだと思う。じゃないと、美意識が狂ってるとしか思えない。
この例をみると、ほんとうに言いたい事が湾曲して伝わる、もしくは、自分自身でも、ほんとうに言いたい事がわかっていない、もしくは変に誤解されるかもしれないので違った言い方をするクセがついている。ということだろう。こういう言い方する人、たくさんいます。とくに女性は、こういう風に真意をオブラートにして言う人がほとんど。
それは、そのまま言うと生意気な感じととられて、生きづらいから。
でもそういう女性に限って「この前言った事なんだけど、ほんとうはさ、こういうことなんだよネ・・」って、後日、言う。
パフィームのセンターの子の言った意味の真意は、「人目を気にしないでダラーッと生活したいなー」ということでしょう。それが、「髪が伸びて染めた髪の根元が黒髪になってるのあこがれる〜」に、なる。あ〜面倒。
どうでしょう、こういうのって、仕事でたくさん経験ありませんか?
人の言葉通りに受取ることは誤解の始まり。人の真意を読みとる・・・といった面倒なことをしないといけない生きづらい世の中だけれども、相手側、つまり言う側に対して言いたい。
「変に回りくどい言い方をするなヨ」「そのままの気持で言ったほうがポイント上がるんじゃない?」と言いたい。