ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

日本で、新聞を読む行為が不快である、などと言う人が自分以外にいるだろうか?

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昭和の時代には、電車の中で新聞広げて読んでいるサラリーマンは普通だった。喫茶店には、たいがい新聞が置いてあり、食事の後の昼休みにはコーヒーと新聞、という光景も普通だった。その喫茶店もドトールやスタバにかわり、電車のなかでの新聞はスマートフォンに変り、公共の施設内で新聞を読む人なんて、ほぼ見ない。新聞を購読してても、それは家で読むだけで、外に持ち出すことも無い。

そんな時代だが、新聞がデジタル時代になって必要なくなった、というだけじゃなく、思うことがある。

新聞紙を広げて、半分に折り、そのまた半分に折り、バシッバシっと折る音を空間にひびかせ、そうした作業が非常に「うるさい」と思うのです。さらに、そういう儀式のような行為から感じるのは「どう、俺って男っぽいだろ!」という主張を感じ、とても鼻につく。

昭和にはそういった男たちがたくさんいた。 車内で大きく広げられた新聞がとなりの人の領域まで犯して読まれることも、日常のことだった。しかし、現在はちがう。

きょう、モスバーガーに中年の夫婦らしき2人が入ってきた。男のほうは、くたびれたジーンズにグレーっぽいポロシャツにスニーカーにジャンバーとキャップ姿で、お世辞にもセンシティブな暮らし方をしていない風体と服装で、そう、このまま場末の競馬場へでも行きそうなカッコである(釣り合いが取れないが女のほうはキレイな身なりであったが)。その男が、いきなり新聞を広げだして読み出したのだ。それも産經新聞とかいうしろものじゃなくスポーツ新聞である。 新聞を広げ、まず2つに折りまた2つに折り読む姿は、昔住んでいた浅草の場末の立ち飲み屋にいる男そのものである。たとえばスーツ姿で新聞を読んでたら? いや、今や喫茶店という名の店はもう無く、カフェという存在になったコーヒーショップで、わざわざ新聞を読むサラリーマンは不自然で、そんな人はいない。それをカッコいいと思うなら、彼を遠くからながめているからだ。となりに新聞男が自分の領域を侵し儀式のように新聞を折る音を耳元でひびかせ、唐突に紙面を送る音をわきでひびかせていたら、かっこいいどころか、うるさいしかない。

屋内のカフェや車内で新聞を読む行為と言うのは、とても目立つし、新聞を折って紙面を送る音、その儀式のような行為は大音量でイヤフォーンから漏れる音のとなりにいるのと同じに不快である。

いったい自分以外に、この日本に誰が新聞を読む行為が不快である、などと言う人がいるだろうか?たぶん、いないだろう。 自分でもイヤになるが、しかし、そうなのだ。だいたい、新聞を読むという行為はとてもエラそうで、人前でする行為じゃない、と思っている。バシッバシッっと新聞を折って読む行為が昔からイヤでしょうがないのだ。