おい!そこの主婦!
免疫力があがるからといって納豆買い占めるな!
まったく・・・!
一体、買いだめに走る奴らの節操のなさは、ひどいものだ。
納豆と豆腐を食うのは普通の日本人の毎日の食事じゃないの?
関西は納豆食わないと思うけど、
なんでいまさら納豆を買い占めなきゃならないわけ?
普通に2、3個、毎日スーパーで買えばいいだけじゃない。
何で買い占めなきゃいけないわけ?
くだらないどこかのSNSの情報だろう、今頃なにが免疫力だっチューの。
そんなに納豆を食ってなかったわけ?
オシャレにパンにヨーグルトってか??
それにしても、こういうことが続くと、浅はかな奴らが周りにいるというだけで、怒りではなく、人に対して絶望する。無知すぎる。教養が無さ過ぎる。
だから、知らない人とはフレンドリーなんて絶対にならない。
よっぽど親しくなって本性もわかって安心してから、普通に対応できるというもの。
自分も相当くだらない生き物であるのは認めるが、「恥」というものをもっている人間でる。マナーもその辺の人間より知っている。これが普通で当たり前なのである。
病気は、何かを知らせるために起こるもの。と、今読んでいる本に書いてある。
ウィルスもただ偶然に起こったことじゃない、と、思わないか?
運命論者でも神秘主義者でも何でもないが、例えば地球温暖化が原因で、とかいう科学的なことは気象とかに影響が起こるが、今回のウィルスにも影響はあるとおもうが、それが原因だとしても、発生しなければいけなかった「意味」というのは、科学的な原因とは違って別にもあるはずだ。
それはなんなのか?

それは買い占めやくだらない嘘に翻弄されているくだらないあなた方をあぶり出すということ。
それは何のために??
「地球が静止する日」という映画を知っているだろうか?
1951年にモノクロ時代にSFとして上映された映画であるが、最近、キアヌ・リーブス主演でリメイクされた。
内容は、宇宙から”地球”を救うために遣わされたキアヌ(中味は宇宙人である)は、地球を壊し続けてきた人類を滅亡させることが正しいか?それとも・・・。
USAの官房長官が「我々の地球を救うために来たのか?」とキアヌに聞くと、「我々の地球? 地球はあなた方のものではない」「地球を救いに来た。地球の味方だ」と答える。しかし、それは人間を救うためではなく地球自体を救うためだった。
どうするか判断するために、70年以上前に同じく地球に送った人間として生きすでに老人となった同胞に判断の結果を聞く。その老人は「この星の生き物は攻撃的で破壊的で救う価値はない」と言う。続けて「しかし、私は人間が好きだ。人間としてここに残り死ぬつもりだ」。キアヌは悩むが、街には犯罪者や暴動が溢れ、救う価値がないと判断し、滅亡させることを決意する。
これはフィクションであるから、面白おかしく観るものであるが、こういった教訓的な内容のものは映画や小説にたくさんある。製作者は、このままではまずい、どうにかしなければいけない・・と人々への警鐘をふくめて作ってるのだろう。
科学で解決できないこともある。全てを科学で説明することは無理だから、頑張って精神的に発達しないと、ただただ、トイレットペーパーや納豆やティシュを買いあさる生き物に成り下がるのだ。