ろくろく人生レポート

東京おとこひとり 改め:66才からの人生探求レポート

この瞬間に生まれるべくして生まれた歌

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ジェーム・ステーラーキャロル・キングのデュエットアルバムです。昔、夫婦だった2人。 ジェーム・ステーラーはデビュー当時、天使の歌声と絶賛されました。甘い歌声のカントリー歌手。キャロル・キングは美声とは言えない声が魅力の暖炉と古い家が似合う歌手。今、時代はアコースティック。そして作曲家も作詞家も必要ないシンガーソングライターの時代。システマチックなモノゴトには興味がなくなる時代。

 20年ぐらいの間に音楽は急激に姿を変えた。音楽ツーじゃない自分でもそう思う。何か変わった。
日本の音楽好きの若者に、今、一番思うことはフォーク的な歌と演奏とスタイルをする人たちが多くなった、ということだ。
自分の若い頃はフォーク全盛時代。そして今は、「あいみょん」に代表されるようにアコースティックな楽器、歌い方、をして活動している若者が多い。レトロなものがかっこいいと思ってるのだ。昔を実体験していないのでレトロが新しく新鮮に映る。そしてその演奏がデジタル世代には耳にも心にも心地良いのだ。

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ピーター ポール&マリー PPM


 あのスーパーフライもジャニス・ジョプリンを意識してるのが見え見えで、62の自分にはすこしだけイタい。なぜなら、歌をスタイルで歌っているからだ。今、この瞬間に生まれるべくして生まれたスタイル(歌)じゃ無いから、どこか不自然で。最初にそのスタイルを創ったのはその時代に表れたフォークシンガーたちだ。
 親世代の、まさにフォークの生まれた反戦時代の歌が、2020にまた持たされた。これはファッションと同じで、現代の彼らは、歌うべくして生まれた歌じゃなく、ファッション感覚で歌ってるのだ。

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ジャニス・ジョプリン

 こんな流れの中で、昔も今も「ダサいね、おかしい、カッコ悪い!」と思う音楽活動はただ一つある。ひっくり返って理屈を言われても、カッコ悪いもの、それは日本人がやるラップだ。
黒人の真似して不良に憧れ大きめなTシャツにキャップに指立てて、そんな日本人がラップやってる動画を見たりすると「超カッコ悪い!」と思わないか?? で、やってる本人たち、カッコいいと思ってるのだろうか? 冗談でやってるとか?(まさかね)。

 音楽を知らない自分でさえも、ラップってのは黒人が悲しみや恨みやどーしよいうもない日常の感情を訴えるため(語るように)にできた音楽であって、洋服を真似したりインを踏んだ歌い方をマネして不良っぽく身体動かしても、人種差別も迫害もそういうDNAなど無い日本人には上っ面だけモノマネしているだけで、かなり変である。今の子たちはそういう背景がわからないほどおバカじゃないと思うけど、でも、いまだそんなラップで音楽活動してる子達がいるのが不思議だ。実に、かなり、カッコ悪い。
 これまでの時代の流れの中で、クリエイター=ものを作って表現する人たちをみていると、カッコいいことをしたいとか、ただ好きなことをしたい!とか、芸能人的な東京で有名になりたい的な、そういう俗っぽい考えもあると思うけど、それらをひっくるめても全て創作する人に必要なことは何か?と言ったら簡単で、それは、


オリジナリティ

である。
今まで誰もやらなかったこと。その人だけができること。
それ(オリジナリティ)は民衆が求めている。
それ(オリジナリティ)が感動するのに必要なこと。
しかし、オリジナリティのある人は残念ながら少ない。
ギターが超うまい!とか技術がすごい!とか歌がうまい!とか、そういうのは練習すれば身につくもので、問題はオリジナリティがあるかどうか?が重要で。だから、世の中にはどーでもいい人が出ては消え、消えては現れ、本当に才能のある人は1時代に何人いるか?または全くその時代には出現しないか?である。

大勢のミュージシャンたちがいるが、実際、今、この瞬間に時代から生まれるべくして生まれた表現者は非常に少ない。だから、今、レトロな歌をファッションとして歌う人には何の魅力も感じなく、(キビシイが偽物=真似っこである)、昔の時代に初めてそのスタイルを作った生まれるべくして生まれた表現者がいたので、本物の彼らの歌だけを聴きたい。