おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

今、社会の問題じゃなく個人の問題になった。

 自分探しの海外の旅、、、屋久島へ行こう、とか、熊野古道を歩いて神聖なものを手に入れたい、、とか、今まではそう言うことが自然に考えられたが、いま、そういうことができない時期。 自由に行動を起こせない、起こすような風潮じゃない時代になってしまった。

 誰かが言っていたが、戦時中なのだ、と。 ウィルスとの戦い、まさに戦争であると、どこの国の長も言ってるが、その通りなのだと思う。そう思いたくないが、冷静に現実を見ないと、いけないのだと思う。楽観的に生きる方が幸せに生きられるけど、それも今は疑問である。

 戦争は経験がないが、戦争中は不自由な時代。物資も少なくなり流通も途絶え、敵から逃れるように隠れるようにしないといけない、行動の自由なんてなかったろう。そんなことが何年も続いたのだ。昔の人は戦争前の自由を我慢して生きていったわけだ。

 なのに、なぜ今、そう言うことができないのだろうか?ここまで経済発展してしまったが故に、後戻りも変化も、できない風潮になったのだろうか。

 会社を、店を、倒産させていいとは思わないけれど、自殺者も一人も出したくないけれど、二者選択しかない気がする。

感染を気にしないで商売(仕事・遊び)を続ける。

倒産(破産)も不便も仕方ないと思い感染を徹底的に食い止める。

 このどちらかじゃない? 今、どっちつかずでなぁなぁで、テキトーに流されていくような今の政策を続けて、それによって人は指導者を失い街には人が溢れ、結局は感染が増える。だったら、思いっきりブラジルのようにアメリカのように、個人の自由を主張して生きてくのと、何がちがうんだろう?と思う。

 今、誰かがこーしろ、あーしろと言うのじゃなく、個人個人の考え方で行動する問題、になった気がする。 感染しないように予防する人と、テキトーに気にしないで生活する人。どっちでもいいわけで、個人の自由で生きていけばいい。

 予防したい人はそう言う場所や行動をしなきゃいいわけで、遊びたい人は遊んで感染したり誰かに感染させたりすればいい。テキトーに生きてる人が家族、老祖父母に感染させてもそれは彼らの問題。彼らがそう言う家庭を作った、そう言う子供に教育してしまった、つまり責任も含めて、個人個人の問題になったんだと思う。 感染拡大で社会問題になるけれど、あなたはこうしなさい、あなたはこうじゃなきゃダメ!などと、いちいち指導もできないでしょ?結局、個人個人のモラルやマナーやそういう問題になってくるわけで、国が決めることは共産圏や独裁国家じゃ無いのだから、なんにも決められないのだ。 今のままだったら結局、個人が勝手に決めて生きるしか方法が無いわけだから。

 指導者を失って個人のマナーがどこかに失せてしまった今は、日本人が一致団結して感染をなくす!なんて、もう誰も決意ができないだろう。事業者たちはこの時期にちょっと経営して現金が入ってぬか喜びして、そのあとまた感染者が出て自粛になって。。。結局、一番は感染収束がメインの課題じゃないといけなかったんだ! と、いつか最後に気がつく。だから延々と感染は続く。

今、どうするかは個人個人の問題になった。そう思います。

 

 話変わって、栗、大好きなんです。秋葉原の駅構内で売ってる京都の焼き栗をよく買ってました。で、ちょっとお高いけどこの焼き栗を買いました。冷凍だそうです。口コミの評判もよろしい。栗ご飯にしようと思ってます。5袋で¥5378円を3セット買いました。

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