ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

理想の死にするために今どう生きるか

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 「気をつけてるから大丈夫」とか、そういう理由で連休に行楽をしている人たちって、「もし感染してもたぶん軽症に終わるし・・・付き合いがあって断れないから・・・今行かないともう行けないから・・・」と、多くに接触して、知らずに感染して広げていると思う。この人たちの感染に対しての意識の低さは一体なんなのだろう? 彼らはマスクや消毒や体温を測るだけで遊びまわっても大丈夫だと思っていることが、どんだけ意識が低いかと思うと、情けなくなる。 

 最終的に、いつか感染が収束したとしても、こういう彼らが収束を遅らせたことは忘れてはいけない。政府や知事のせいじゃなく個人が原因なのだ。

 今回は風邪のようなコロナウィルスだが、もし致死率の高いエボラウィルスが日本で蔓延したら、症状がはっきりしてるので患者は見つけやすいが病院や医療従事者はパニックになり身近で感染者が出た街は、今と比べられないほど恐怖に落としこまれるだろう。自粛なんて甘いことにならず法改正で閉鎖になることになる。ただエボラウィルスにはワクチンはあるのが希望だが。

 全ての抗生物質が効かなくなる耐性菌の蔓延はもう時間の問題であるが、これはもっと恐怖に落としこまれるだろう。つまり、今世紀に次々に出てくるだろう感染症に対しての準備が、今、遊び歩いて無神経な人たちが多くいる状態では人々は何も学習できないまま終わり、新たな感染症が始まったらまたゼロから予防を始めることになるのだ。

 新型コロナウィルスに感染しないようにする理由を、しっかり言える人はいるだろうか? 人にはいろんな理由があるだろう。会社にバレると居づらくなるとか、家族に移すとやばいとか。

自分が感染予防をする理由は

1)どんな病気でも病院に入院したくない。

2)軽症で終わっても未知の病原体を体に入れたくない。

3)重体になって後遺症に苦しみたくない。

と、この3つです。全て自分のことだけを考えた理由です。

まずは自分が大事ですから。

 すでに自分が感染していて人に移してしまったら悪いので自粛する、とか、テキトーな予防で感染をして広げたらいけないから、、とか、そういう、人に対しての注意ってのはあまり考えていない。なぜって、どっちにしても自分が病原体を移しまくる行動をしなければ、自分も他人も安全なのだから、予防するというのは自分のためにすることでそれが充分に他人のためになるのだから。

 感染して軽症で終わっても、体に、それも細胞内に異物が入ることへの恐怖感。オーバーに言うとそれは「死」を恐れるのとちょっと違って、今まで築いてきた物体としての自分、精神性の自分、としてDNAレベルで何かが悪い方向へ変化してしまうかもしれないことへの抵抗、である。

 病院に入院したくないと言うのは第1位。 死を病院で迎えること。老後、死ぬことになっても入院はしたくない。 病院の無味乾燥な天井を見ながら死にたくない。そんなつまらない「死」は自分らしくない。そういことにならないためにヨレヨレのジジイになっても孤独死=つまり部屋で、気に入った場所で死ねるように、今から頑張るのです。これからの人生は仕事でも人付き合いでもお金でもなく(お金はちょっとあるかも)「理想の死にするために今どう生きるか」が、テーマです。

※画像/ピカソ:青の時代「悲劇 (海辺の貧しい家族)」