ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

お尻を洗浄することが当たり前になっていることは「逞しく生きていない」ということで反省をしないといけない

下(しも)の話ですので気分悪い人は読まないように。

 マンション住まいだった頃は、トイレ設備は物件によって様々だった。男の小便器がついてる物件は最高だった。木造の一軒家に住んだときはレトロ内装が気に入って住んだが、トイレの環境が悪くて毎日ゆうつだった。

 そんなトイレ事情だが、今や洗浄便器は常識になっている日本で、古いトイレやトイレに電源がない場合は設置できないというのを知ってるだろうか?

 現在の我が家も古いユニットバスのため電源がなくトイレ自体も古いので洗浄便器は設置できない。浅草の古い一軒家ももちろんそうだった。

 そしてさらに時代をさかのぼって実家の一軒家に住んでいた頃は電源などない半畳に便器があるだけというトイレであった。

 話は長くなったが、今や常識の洗浄便器。 生まれた頃から洗浄便器の家の人は絶対にこれが無いとトイレに行けないと聞く。旅で旅館や食堂に洗浄便器がないと、我慢すると言っていた人がいた。こういった人は結構、多いと思うが、これはかなり問題である。

何が問題か? それは人間の体を洗浄便器に合わせてしまったこと。

 自分の場合、書いたように洗浄便器の使用歴は最新マンションに住んだ数年程度しかない。2、30代はもちろん時代的に存在しなかった。そういう中年以降の人は多いだろう。

 今は違うが、毎日酒を飲んでいた頃は次の日にはだいたい下痢になっていた。その頃に買ったのが「携帯用おしり洗浄機」であった。

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 この手動おしり洗浄機は介護現場、赤ちゃん、病院で使われている。海外旅行に行く人で持って行く人もいる。これを買って数年使っていたが、これは他人が誰かにやってあげる場合はとても使いやすいが、自分でやる場合はすごく面倒なのである。 洗浄自体はコツをつかめばパーフェクトじゃないが問題なくできる。

 問題があるのは、容量が300mlしかない、、ということ。 赤ちゃんだったらいいが大人はこの3倍、つまり1Lは必要になる。だから3回も水を入れ替えないといけないのである。想像してほしい、便座に座ってお尻を露出して用を足している最中に容器に水を3回も入れ替える面倒さと難しさを。

 そしてさらに問題は、一回一回、使用後に洗わないといけないこと。さらに洗った後に置く場所の問題。ノズルを本体から外して倒れないように水分を飛ばすような場所に置く。これって、買って初めて知った面倒なことで、だが必要な作業であった。 しかし、これを2〜5年もやっていたのだが、さすがに苦痛であった。 その後、酒を飲まなくなって腸の調子が良くなり暴飲暴食もなくなり少食になり、トイレ回数も減り、お尻を洗浄する必要性が少なくなった。

 これを踏まえて思ったのは、お尻の洗浄が当たり前になったことは清潔でいいと思ったが、これがないとトイレが不安になる生活は怖いな、ということ。

 現代、どんな環境の変化が来るかわからない時代。文明は進んでいく反面、停電したら洗浄便座だって使えないわけだし、お尻を洗浄することが当たり前になっていることは「逞しく生きていない」ということで、反省をしないといけないのではないか?と思うのである。

 お尻を洗うこと自体、普通になっている今、洗うということで便の調子を意識しなくなり、下痢でも、軟便でも、いちいち便の調子など意識しなくなって、本来なら便が緩かったら食事を気をつけよう!と考えるのに、とにかくトイレの後はお尻を洗えば終わり!という考えになってしまって、悪い状態が何もなかったことにしてしまったら、生活で身体の調子を良くしようという意識が低くなってしまう不都合が生まれる。

 一番いいのは便のキレが良く紙や洗浄など使用しなくても汚れない排便である。身体は年をとればどこかしらガタがくるのだが薬を使わず、お尻も洗浄しなくていい体調にすることを目標にすればサバイバルに強く生きてけると思う。どうしようもなくなったら、仕方なく洗浄便座を使う、という最終武器として考えたらいいと思うのだが。