東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

究極の断捨離

f:id:bearpond:20200816230420j:plainDavid Hockney

絵だけでもプールを。


やっとお盆休みが終わったぁーー。

 勝手な言い草ですが、自分以外の世間は朝から夕方までサラリーマンのように規則正しく動いて欲しいのです。それによって自分がストレスなく存在できると、改めて思いました。

 世の中がお休みだと、自分と同じ自由なスケジュールになるので、昼間の街におばさん以外の人やガキがたくさんいて混雑して空いてる時に外に出よう、とか、人がいない時に銀行に行こうとか、そういうことが無理になって、自分のスケジュールがメチャクチャになるのです。実に勝手な言い草です。だから他の人にはサラリーマンのように普段の平日の暮らしをして欲しいのです。

 大型連休や正月も同じことが言えて、休みにこぞって人が出かけたり集団で行動すると、いつも穏やかな街や場所が混乱する。

 

よく、「死んだらあの世には持っていけなのだから・・・」とかいう。物質は持っていけない。

死んだら持っていけないのは、物質だけ。

 でも「感じたもの」は持っていける、し、もう自分の一部になってるので持っていくというよりも、感じて得たものは持つとか持たないじゃなくて自分自身ということだから、

「すでに持っている」というのが正しいでしょう。

 何を言ってるかというと、それほど重要なことじゃなくても一瞬一瞬、毎日、無意識に全てを感じているわけで、それらを数えたら膨大な数になるはずである。

例えば、「ガラスに映った反射がキレイだ!」とか「急に寒気がした」とか「コーヒーが飲みたくなったな」とか「あの人元気だろうか?」とか、それはそれは、すごい数の感覚が一瞬一瞬に作動しているのが人間。それらは忘れることもあるが全て感じて会得したのだから、形のない自分自身と同等のものである。

 食事をして「美味しい!」と思ったこと、でもその食事はあの世には持っていけない。でも「美味しい!」という感覚は持っていける。これは究極の断捨離ではないか? 物じゃなくて感覚で十分な人間になれたら、しゃべる必要がなくなって(感覚だけになるので)とても正直に生きられる。

 この物質の世界では、仙人のように生きるだけでいいというような美とかけ離れた暮らしではなく、物質を無視しないで最低限の美しい暮らしをするべきだと思う。なぜなら物質はそもそも思考のエネルギー化=物質化だから、感覚と同意語である、と言える。だから今、物質の次元にいるのだからそれは十分に生かすべきだと思う。

 

仕事と暮らしの両方で、常に大事に思っていることは

  • わかりやすいか?
  • バランス(リズム)がとれているか?
  • 予知(先)は見えているか?

いつもこの3つができているかを無意識に考えて生きている。

わかりやすいか、とは、物でも言葉でも何でも難しく説明したり複雑にする物事に対して失礼な行為だと思っている。わかりやすくすることは非常に難しく、かつ必要なことだと常に思っている。昔、文字を読めない人のために教会ではステンドグラスで聖書の物語を描いたように、誰でも理解できるものがいつの世の中でも大事だと思っている。そしてそれができる力量のある人がもっと存在して欲しい。

バランスは、つまり美意識で、全ての状態に美しいバランスが取れているかを意識する。

予知とは、超能力のことではなく、こういう世界が来るだろう、来て欲しい、とか、こうしなければ良い方向にはいかないだろう、とか、こういう技術があったらいいな、とか、そういう「強い予測と希望」のようなもの(悪い予測もあるが)を常に考えて思考を巡らせること、が必要だと思っている。

お盆だし、終戦記念日だし、ということもあって、いつも以上に目に見えないことを考える。