東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

アプリなど使わないで自分の頭で方法を考ええる、そんな主義を持ってる人がいたら、すごく魅力的だ、と思う

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日本人ってオモチャのような家電や機械物が好き。器用で細かい作業も得意な日本人だから、操作系ってのが得意な人種だ。だから日本は技術がすばらしい。
そこに登場したのが「スマートフォン」だ。

「手のひらに乗る最高に賢いオモチャ」を知ってしまったがために、10代でも月々支払える金額で、すべて生活がこのオモチャ中心で生きていくことになったのだ。

マスコミはキャッシュレス時代だと危機感をあおって、とにかくスマートフォンを使わせようとしているかのようだ。すべての生活が「スマートフォンありき」で、通信量の値下げもそんな中から生まれた必要のない政策である。

洋服をステキに着ている人は「服に着られていない」人。でも買ったままの服が歩いてるような服に着られてる人が服が似合わない人。

それと同じで、スマートフォンを使ってアプリやSNSで遊んでる人はスマートフォンの機能に遊ばれている。どっちが頭がいい?と言ったらスマートフォンの方が頭がいいわけだから、その面白便利アプリがもともと好きな日本人のツボにはまって、人が右往左往させられて、新しいものや機能に毎日振り回されているのだ。毎日会わないと声を聞かないと落ち着かない片思いの人のよう。

そんな状態を横目でみていると、人々を支配したのはスマートフォンを作った技術者&デザイナーたちである。使ってる人たちはスマートフォン(作った人達)の奴隷である。

自分のようにパソコンオタクなのに、なぜか、スマートフォン=アプリケーションや動作効果や便利機能には全く興味がないのだ。 なぜだろう?と考えた。

たとえば、30cmのLPレコードはそのアナログであるからの魅力、歴史的価値やサイズの大きさによるビジュアルの面白さ、が魅力である。しかし時代が進んでLPからCDになった時、音楽自体にもまったく興味がなくなってしまった。しかし生まれた時からCDやスマートフォンが存在していた人は違う価値をデジタルにみているのだろうか?

つまり、技術が進むことで音源をコンパクトにしてしまったが故に、本来のアナログがもたらす人の介在が感じられた物、そして30cmの大事なビジュアルが無くなり、一定の雑音を消した人工的な機能商品と化してしまい、曖昧で融通の効くアナログというものを自殺に追い込んだのだ。

これと同じで、あの小さなスマートフォンはCDと同じで画面が小さくビジュアルの面白さはゼロになり、ただ面白便利アプリだけの物体と化したことで、人間の感性がそこには不在になった。だから自分には全く面白くもない物体である。

便利になって外に何でも持って行ける・・・これが人の暮らしを、感性を壊した、と思う。
音楽が好きなら、逆に大事なものとして家でしか聞かないようにして外にまで持ち出さないようにするとか、どこにいても道に迷っても待ち合わせでも、アプリなど使わないで自分の頭で方法を考ええる、そんな主義を持ってる人がいたら、すごく魅力的だ、と思う。