東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

最後から逆に読み、最初に戻って普通に読む。

銭湯にいく途中の公団の広い敷地に、桜が満開で、4階建ての公団の目の前に、大きな桜がたくさん並んでいる。ここに住んでる人は良いだろうなぁ〜 ベランダの目の前が桜、サクラ、だもの。昭和のなつかしい白い壁の公団住宅にマッチして美しい景色だった。

近くの河原で小学生たちが足まで水に浸かってボール遊びをしている光景、なんとも平和だなぁ。

この辺は住宅街だからそういう光景がいたるところにみられる。でも、なんで渋谷とか六本木とか銀座とか、そういうインチキな街が好きな人がいるんだろう?ってつくづく、不思議に思うよ。あれらの街は排気ガスだらけで人々も虚栄のやつらばっかりで、息ができない街。昔、西麻布に事務所があって通ったので、よく知っている街=渋谷、六本木。人間が腐る街。腐った人間が好きな街。(言い過ぎ?)、こんな同じ思いの東京人はたくさんいると思う。

 

自分の癖・・とは、無意識にしてるのが癖、ということだろうが、意識してる癖 がある。

たとえば推理小説や、サスペンスドラマや、怖い映画や、そういう犯人は誰??みたいな本や映画などは、最後を最初に読む(観る)。そして、安心してから最初に戻って、また観始める(読み始める)という、なんともビビリな感じの行為をする自分。

ほんとうは知らないで驚きながら進んでいくのが醍醐味なんだろうが、それが苦手だ。まず死ぬのは誰?誰が犯人?それを知って、安心してから、そしらぬ顔で戻って観始める。どうせ作り物の小説だし映画だし、それでもいいんじゃないの?

主人公はたぶん死なないだろう、が、好感度の高い名脇役が死ぬ場合が、最近多い。そういう設定って、すごく嫌だ。主人公より脇役は好きな場合が多い。

ストーリーをきわどくするために、ウケ狙いで、良い人が死ぬ・・・

すごい拷問を受けているが死なない主人公とちがって、残念な死を迎える相棒がいてこそ主人公が復讐のパワーの源になる。この設定が、どうにも苦手なのだ。

でも、こういう設定じゃなくても例えば、取扱説明書とか、そういった資料や雑誌なども、たぶん一番最後のページから逆にページをめくって、最初に戻って読んでいくという、癖?がある。本や雑誌や漫画に限っては絶対に最初から読まない、と宣言します。

  • 最後から逆に読み、最初に戻って普通に読む。
  • 最後を知って安心して最初から観る。

この心理はいったいなんだろう? と心理学者にきいてみたい。