東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

貧しく金で売られたジェルソミーナが現代に必要だろうか?

まず最初に誤解されないように言っておくが、自分は女性蔑視をしたことがない・・・というより性別で差別するという意味がわからない。GAYだから。女も男も体のつくり=遺伝子が科学的に違うだけで普段の生活上、同じただの生き物としか見れない。

だから、女だから許される、とか、男だからよくない、とかいうのが、まったくわからない。ただいえるのは、もっとキレイになるのに何でそんなカッコしてるの?という意見はしょっちゅうある。

 

前にも書いたが、お笑い女芸人の彼女らは何か勘違いしている。そして、そういう彼女らを売り出そうとしているマスコミも、それを見て笑おうとしている民衆も間違っている。(つまりみんな間違ってる)

オリンピックのイベントでナオミを豚扱いして笑わせようなんてゲスなこと考えてたCMディレクターがクビになったが、100%彼が悪いとは言えない。彼にそのような発想をさてしまったナオミとファンに聞いてみたい。ナオミの芸の何を笑ってるのか?何で笑えるのか? そこに答えがあると思う。

ここからは自分のことを書くことにする。

彼女らが「お笑い」に仕事を決めた動機は何だったのだろうか?そしてそれを想像すると彼女らは自分のコンプレックスを逆手にとりポジティブに生きようとした結果が「お笑い」だったのではないか? 幼少の頃にもしかしたら誰かから、からかわれたり、いじめられたり、笑われたことで、お笑いで生きようと思ったのかもしれない。

彼女らのコンプレックスはたぶん顔と体である。お笑いに限らず女性の場合は男女の差別など問題にならないくらいの女子同士の差別、区別、上下関係、がある。これはとても残酷である。時代が変わっても彼らや彼女らは顔と体でランクをつけられる。

男女の差別など考えられないくらい最大級の差別が存在する。

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しかし、ここで変だと思うことがある。お笑いの彼女らは「笑われること」が仕事である。笑いにも質があるけれど、「こういうことで笑ってください」などと客に求めるものではないので、現在も過去も、彼女らの芸はおおかた意味なく「人として異形の姿」をつくって笑わせようとしているに過ぎない。そして見た目で「笑わせる」自虐的な表現は、芸人も客も同じく人をバカにして笑う罪を作っていることになる。男芸人でハゲを売り物にして笑わせようとしてる者もいるがそれも同様で、

身体的な異形をネタに笑わせようとすること、それを笑うこと、は最低の人間である。

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この「道」というすばらしいイタリア映画を観た女芸人はきっといないと思う。もしも観ていたら安易に女芸人にならないはずだ。フィクションである映画だが、これといって特技があるわけでもなく変な格好して笑いを取るだけしかできない彼女と同じ道を選ぶだろうか?と。現代の恵まれた時代に生きているにもかかわらず、ジェルソミーナと同じ道を選ぶ意味があるのだろうかと。顔や体や貧しさを原動力に生きるのだったら、なぜ、裕福な現代で女芸人という選択なのだろうか?

1954年製作フェデリコ・フェリーニの「道」。

粗野で乱暴で教養のない大道芸人のアンソニー・クインに金で買われた女ジュリエッタ・マシーナは少し頭が弱く2人は旅をしながら芸を披露し暮らしてゆく。しかし・・・

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この映画の中のジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナは貧しさから母親がザンパノに売ったのだ。ザンパノは怪力芸、ジェルソミーナはピエロ的な振る舞いで客から金を徴収するアシスタントをし、いつしか2人は恋愛感情を持っていくが・・・

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この映画「道」の女芸人となったジェルソミーナは少し頭が弱いため疑問を持たず一生懸命にザンパノに尽くしてゆく。ジェルソミーナは貧しい家にいたときよりも大道芸人として活き活きと生きている感じがする。人に笑われザンパノを盛り上げる女芸人ジェルソミーナ、それを観て笑う客も、貧しいイタリアの時代には何の疑問もなく客は当たり前のように楽しむ。

この映画はお笑いがテーマではないが、ジェルソミーナは貧しく金で売られ笑われながら生きてゆく女、現代の女芸人を見るたびにジェルソミーナの悲哀がだぶる。貧しい時代には笑いも驚きも生きるのに必要なものだったのだろうが、けれど、

現代に女芸人の必要性はあるのだろうか?貧しく金で売られたジェルソミーナが現代に必要だろうか?

お笑い女芸人達は自分達の顔、体、動き、喋り、で笑わせようとしている(はずである)。しかし、

それはおおいに間違っている

見る方も演出する方も全て間違っている。これらは「笑うもの」では決してはない。これらをもって「笑い」としたならそれは「人をバカにした笑い」である。これは大げさにいうと「罪」である。キリスト教でいえば「人をバカにする」ことは大罪なのである。

「笑わせようとしてるから笑ってもいい」と反論するなら、これも両者ともに間違っていて彼女らを見た目で笑うことは

子供や意識の乏しい人に「人を見た目で笑うことが許される」という意識を植え付けてしまう大変なこと

なのである。